学校日記

予告なし避難訓練の後で思うこと(校長室から)

公開日
2024/11/07
更新日
2024/11/07

できごと

今日の中休みに、避難訓練を実施しました。大きな地震が起きた後に校務用員室から火災が出たという想定で行いました。今回は子ども達に予告をせずに行いました。

中休みの終わりごろに、緊急地震速報のチャイムが鳴りました。私は北館2階の廊下にいたので、校庭の様子と1年生の廊下や教室の様子を見ることができました。

校庭で遊んでいた子ども達の中には、慌てて教室内に入ろうとする子がいたり、「きゃー」という悲鳴のような声があったりなど、なかなかに混乱した様子が見られましたが、校庭にいた職員が声をかけたり、上級生が率先して移動したりなどして、最終的には校庭の真ん中に身を寄せ合って集合することができました。

一方で、1年生の教室や廊下は室内に教職員がいたためもあってか、ほとんどの子が教室の机の下にもぐり、放送での次の指示を静かに待つことができていたようでした。(他の場所の様子は違っていたようですが・・今後の課題です)

校庭に集まり、防災の担当と私から話をしましたが、その時には皆静かにしっかりと話を聞くことができました。私からは、自分の命を自分で守るためには、まず、火事や地震が起こったときにどうしたらいいのかを「知る(わかる)」こと、そしてこれから先どんな危険があるのか、自分の行動がどういう結果につながるのかということなどを「想像する(考える)」ことが必要だと話しました。

大人の役割としては、まずは子ども達が理解できるように工夫しながら、防災・減災に関する正しい知識を伝えていくことだと思います。そして日常生活の様々な場面で「もしこうなったら?」「(そうした行動をとったら)どうなると思う?」と子ども達に問いかけ、考えさせるようにしながら、危険に対する子ども達の想像力(感度・予見する力)を高めていくことなのだろうと思います。もちろん命の危険や怪我につながることはあってはなりませんが、全ての危険を先回りして取り除いておくことよりも、なぜ危険なのかを考えさせたり想像させたりする働きかけをしていくこと大切なのではないかと思います。

少し話が飛んでしまいますが、先日、朝、昇降口が開く前に、西門(の柱)に座っていた子がいました。「危ないから降りるよ」と声をかけましたところ「どうしてですか」と聞かれました。「もし何かの拍子にバランスを崩したら(その態勢だと)頭から落ちてしまうよね。しかもここには大きなボルトが出ているから、頭があたったら切れてしまうかもしれないよね」と答えましたところ、その子は「なるほど。わかりました。」と納得してくれたようでした。この場面で、なぜいけないのかを考えさせることも必要だったとも思いますが、その余裕がなくすぐに答えてしまったのですが、素直に納得してくれたその子の姿から思うのは、なぜだめなのかという理由が子どもにとって腑に落ちているのかどうかも大切なのだろうなということです。「なぜかな」「どうしてかな」「どうなるかな」などと大人が問い続けることで、より子どもの理解は深まりますし、想像力も高まっていくのだろうと思います。そして何より思考の習慣(考える癖)がつくだろうと思っています。