初冬の雨 時雨
- 公開日
- 2015/11/16
- 更新日
- 2015/11/16
校長
時雨
今年の11月は、例年に比べ雨が多いような気がします。
初冬は雨の多い季節です。気象庁によると、この時期の雨の周期は約5日で、一雨ごとに気温が1度下がっていくのだそうです。この時期の雨を時雨といいます。
時雨とは、晩秋から初冬にかけて降っては止み、止んでは降るという通り雨のことです。
時雨は、初冬の季語にも使われます。
初時雨猿も小蓑を欲しげなり 松尾芭蕉
蓑虫のぶらと世にふる時雨かな 与謝蕪村
うしろすがたのしぐれてゆくか 種田山頭火
木枯らし吹く季節では、小雨といえども体感温度は下がり、コートが欲しくなります。
猿だけでなく、芭蕉も蓑が欲しかったのでしょう。
民謡にも時雨は登場します。
♪さんさ時雨か、萱野の雨か、音もせで来て濡れかかる
しょうがいな ハァ めでたい めでたい♪
宮城県の民謡「さんさ時雨」です。一説には伊達政宗との所縁もあると伝えられます。
余談ですが、「さんさ」とはササの擬音語で俗謡のはやしの声、と広辞苑にはあります。さらに、さんさ節については、江戸中期ごろ諸国に流行。歌詞の中に「さんさ」という囃子詞(はやしことば)がつく。さんさ時雨も同一系統にある。と記されてます。
盛岡さんさ踊りでは、悪魔払いに笹の葉をもって踊ったことから、笹がさんさになったなどの説もあります。
こきりこ節にも「マドのサンサはデデレコデン ハレのサンサもデデレコデン」と、さんさが登場します。何か意味がありそうな気がしませんか?
さんさは単なる囃子詞なのでしょうか?
話を時雨に戻しますね。
時雨については、1000年も前の平安期にも詠まれてます。
神無月ふりみ降らずみ定めなき 時雨ぞ冬のはじめなりける
(和漢朗詠集)
和漢朗詠集は藤原公任(ふじわらのきんとう)撰の歌集で、寛仁2(1018)年頃編纂されたといわれています。
夕日かげ群れたる鶴はさしながら 時雨の雲ぞ山めぐりする
(藤原定家)
定家は後鳥羽上皇の命で藤原家隆らと「新古今和歌集」の撰をおこなった鎌倉時代の人物です。この時期、定家と前後して西行や鴨長明が活躍します。同じ鎌倉期でも吉田兼好は100年ほど後に登場します。
京都嵐山の天竜寺から嵯峨野方面を散策すると、常寂光寺を過ぎ落柿舎と滝口寺の間に厭離庵(えんりあん)という寺があります。ここに藤原定家の小倉山荘(時雨亭)があったとされ、そこで小倉百人一首が選ばれたのだそうです。(時雨亭は、二尊院や常寂光寺にもあったとされ、本来の場所は定かではありません。小倉山の何処かにあったのでしょう。)
光琳カルタというのがありまして、江戸時代の画家尾形光琳の作で、現在残っている小倉百人一首の中でもっとも豪華で華麗な「歌かるた」といわれています。読み札には歌の作者を描き、取り札には歌意を表す花鳥風月が描かれてます。
複製品でも結構なお値段です。カルタ取りに使うには勇気がいります。観賞用でしょうか。
今年は、本阿弥光悦が京都鷹峯に「光悦村」を拓いて400年目の年にあたります。光悦や俵屋宗達の技法を取り入れ、絵画や蒔絵に新風を吹き込んだのが京都の呉服屋(雁金屋:かりがねや)出身の尾形光琳です。大和絵の伝統的な装飾と王朝文学趣味を持ったこの流派は琳派と呼ばれました。
箱根の岡田美術館では「箱根で琳派 大公開」と銘打って、二期に分けて本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、鈴木其一(きいつ)らの作品が展示されています。
嵐山には「時雨殿」という、百人一首の博物館もあります。
嵯峨野の竹林や大河内山荘からの保津川、嵐山の紅葉も見事です。
冬間際の紅葉の季節、京都や箱根を機会があれば訪ねてみてください。
なお、これからの季節に京都等の寺社に行かれる際は、「靴下」を一枚余分に持って行かれることをお薦めいたします。
廊下や畳は大変冷たいです(笑)。