家康没後400年に際して その1 鳳来寺〜鳳来山東照宮
- 公開日
- 2015/09/10
- 更新日
- 2015/09/14
校長
家康没後400年に際して その1 鳳来寺〜鳳来山東照宮
6年生は歴史の授業で織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を学習しています。各人の施策等を調べ人物像を浮き彫りにしていました。
今年は家康没後400年ということで、家康関連のお話をしてみようと思います。相変わらず脈絡滅裂ですので、家康像を描きだすことはとてもできませんが、調べたこと、感じたことを思いつくままに書き連ねてみます。お付き合いください。
7月初旬に「鳳来寺〜鳳来山(ほうらいさん)東照宮」、「長篠城址」、「設楽原(したらがはら)決戦場祭り」を訪ねてきました。今回は鳳来寺と鳳来山東照宮を中心にお話しします。
鳳来山東照宮は、久能山東照宮、日光東照宮と並ぶ三東照宮の一つです。
駿府城で亡くなった家康は当初(1616年)、久能山東照宮へ埋葬されます。清水と静岡の間に位置し、近くには日本平や草薙があり、久能山は石垣イチゴでも有名です。
翌、元和3年(1617年)に下野国(しもつけのくに)日光に改葬され朝廷から東照大権現の神号を受けます。寛永11年(1634年)には、3代将軍家光が日光に参詣し、寛永13年(1636年)の21年神忌に向けて寛永の大造替(ぞうたい)が始められ、今日見られる荘厳な社殿への大規模改築が行われました。
慶安元年(1648年)、家光が日光東照宮へ参拝した折に改めて『東照社縁起』を読み、その縁起に「松平広忠がりっぱな世つぎを得たいと思い、奥方とともに鳳来寺にこもり祈願して生まれた子供が家康であった」と書いてあったことに感銘し、鳳来寺の本堂修復と薬師堂の再建を発願、それにあわせて新たに東照宮の創祀(そうし)を計画します。慶安4年(1651年)、4代将軍家綱の代に落成しています。江戸時代初期の建築方法を残すものとし国の重要文化財になっています。
鳳来寺はおよそ1300年前に利修仙人によって開かれ、大宝3年(703年)に文武天皇から鳳来寺の名を賜って建立されたと伝えています。以来広い信仰圏を持って栄え、源頼朝も厚く信仰し、七道伽藍を寄贈し隆盛期を迎えたようです。
鳳来寺の参道の石段は1425段あり、社殿に行くには一山登るといった感じです。鳳来寺は、山の上の方にあります。さらにその奥に東照宮や奥の院があります。
鳳来寺は仏法僧(ブッポウソウ)と鳴く「このはずく」の生息地としても有名です。参道を歩いて行くと、モリアオガエル群棲地という標識もありました。春に、木に卵を産む、変わったカエルです。いろいろな生物が棲んでいるようです。
余談ですが、聖徳太子は十七条憲法の中で、
一に曰く「和をもって貴し」
二に曰く「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり」
と、太子の教えを鳴き声にする鳥とは・・・世の人は、ブッポウソウと鳴く鳥を長く「ぶっぽうそう」という鳥であると信じていたようですが、実は「このはずく」がブッポウソウと鳴くのだそうです。「このはずく」と「ぶっぽうそう」の二種類の鳥が存在し、鳴き声から人々が誤解をしていたようです。
参道には多くの碑があり、松尾芭蕉や若山牧水、種田山頭火の歌碑や像などがありました。
芭蕉 こがらしに 岩吹きとがる 杉間かな
牧水 仏法僧仏法僧となく鳥の 声をまねつつ飲める酒かも
山頭火 たたずめば山氣しんしんせまる
僕が種田山頭火に出会ったのは中学生の頃、若山牧水は大学生の頃です。
当時の愛読書の一つに水島新司さんの「あぶさん」という野球漫画がありまして、その中で牧水の「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり」という句が紹介されます。丁度、酒を飲める年頃でしたので興味を覚え、旅と自然とともに酒をこよなく愛した漂泊の歌人牧水に心を惹かれたのでした。
山頭火は数年おきにブームがあるようで、小田原の八小堂書店で山頭火関連の書物が多く平積みにされていたのを手にしたのが最初です。その後近くの書店で「定本山頭火全集」を注文するも、中学生の小遣いでは支払いができず二巻で解約しました。
山頭火の実家は造り酒屋を営んでいたのですが破産し、酒に溺れた日々を送ることとなります。世間から脱し、自由を愛し、酒を愛し、行乞(ぎょうこつ:お坊さんが乞食をして歩くこと)の旅を続けながら俳句を作り続けた山頭火。形式にとらわれない自由な俳句やわかりやすく飾り気のないことばが、独特な雰囲気をかもしだし、しみじみと心にしみとおる句となり、親近感を覚えるのでしょう。
さて、どちらへ行かう 風が吹く
分け入っても 分け入っても 青い山
ここで泊ろう つくつくぼうし
温泉はよい、ほうんたうによい。ここは山もよし海もよし、
出来ることなら滞在したいのだが、いや一生動きたくないのだが。
私にはどうにもこうにも 解けきらない矛盾のかたまりがあります、
その矛盾を抱えて微苦笑する外ありません。
動くものは美しい。水を見よ。雲を見よ。
感じたことをありのままに詠んだ句や言葉ばかりです。
世間や家族ばかりか、自分さえも捨て、放浪の旅に生きた山頭火の人生そのものなのでしょう。山頭火の旅は、自分を見つめる旅、自分探しの終わりのない旅です。
人生の岐路、あなたにはどんな風が吹いていますか?
1425段の石段の上の本堂の前の田楽堂の欄間には、「山頭火献詠」がありました。
トンネルいくつ おりたところが木の芽の雨
ここからお山のさくらまんかい
たたずめば山氣しんしんせまる
春雨の石仏みんな濡れたまふ
石段のぼりつくして ほつと水をいただく
人聲もなく散りしいて白椿(薬師院)
霧雨のお山は濡れてのぼる
お山しづくする真実不虚(ふこ)
山の青さ大いなる御佛おはす
水があふれて水が音たてゝしづか
山霧のふかくも苔の花
ずんぶりぬれてならんで 石佛たちは
水が龍となる頂ちかくも
水音の千年万年ながるゝ
石だん一だん一だんの水の音
霽れるよりお山のてふてふ
漂白の俳頭陀山頭火昭和十四年
四月廿二日当山に拝登して賦吟を貽せり
今茲五十年忌辰に値い之を録して奉納す
昭和六十三年十月十一日 三河知多山頭火の会
山頭火は鳳来寺で16句詠んでいるのですね。
何気なく訪れた鳳来山東照宮でしたが、深山の中にひっそりとたたずむ趣のある社でした。
鳳来寺もなかなか興味深いところで、多くの歌人が訪れていることに驚かされました。
近くの湯谷温泉では鮎料理を食することもできます。また、訪ねてみたい所です。