鉄道の日
- 公開日
- 2015/10/08
- 更新日
- 2015/10/09
校長
鉄道の日
今年のノーベル賞では医学生理学賞に大村智さん、物理学賞に梶田隆章さんのお二人が受賞されました。ノーベル賞ウイーク初日から2日続けての朗報です。本日までの日本人受賞者は24名となりました。
湯川秀樹さんから小柴昌俊さんあたりまではよく覚えているのですが、その後は曖昧になってしまっています。物理学と化学賞の受賞が圧倒的に多いですね。
僕が小学生だった1960年代には、朝永振一郎さんと川端康成さんが受賞し、大きな話題となりました。特に文学賞を受賞した川端さんの「雪国」の冒頭は、当時の小学生は本を読んだことがなくても誰もが知ってました。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」
ノーベル賞とは関係ありませんが、当時の小学生の間で知名度が大きかった作品に芥川龍之介の「トロッコ」があります。地元が作品の舞台となっていることもあり、親近感を覚えたのでした。また、新聞記者をしていた隣町の力石平蔵さんが原作者だということもよく知られていました。
「小田原・熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行った。」
鉄道に興味を持っていた僕にとって、いずれもの作品にも鉄道が関連していることで記憶に残っていたのかもしれません。
来週、10月14日は「鉄道の日」(鉄道記念日)です。
♪汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり
愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として♪
「鉄道唱歌」、最近はあまり耳にしなくなりました。全6集・374番もある長い歌です。東海道編は66番まであるそうです。その12番には小田原が歌われています。
♪国府津おるれば馬車ありて 酒匂小田原とほからず
箱根八里の山道も あれ見よ雲の間より♪
(後に「馬車ありて」を「電車あり」に訂正)
国府津駅前から小田原町(小田原市)までは「小田原馬車鉄道」(1900年に路面電車化し、1920年廃止)という馬車鉄道が開通していました。鉄道唱歌が発表されたのは1900年ですから、この馬車は小田原馬車鉄道を指すのでしょう。
小田原〜熱海間には、「豆相人車鉄道」がありました。明治28(1895)年7月に熱海〜吉浜間で営業を開始し、翌29年3月に熱海〜小田原間が開通しています。明治41(1907)年8月に社名を熱海鉄道と改めて、蒸気機関車牽引の軽便鉄道へ切り替えました。
熱海駅には、当時の蒸気機関車が保存展示されています。
1922年に新東海道本線の小田原駅〜真鶴駅間が「熱海線」の名で開業すると、その並行区間を廃止して残存区間で営業を継続しますが、大正12(1923)年に起きた関東大震災によって軌道は寸断され、豆相人車鉄道(熱海鉄道)は復旧はされずそのまま廃線となりました。
1924年に熱海線は予定通り熱海駅までの開業を果たし、1934年には丹那トンネルが開通して熱海線は東海道本線へ改められることになります。(丹那トンネルの開通については、昨年度の「JR御殿場線開業80周年」をご覧ください。)
日本初の鉄道が新橋(後の汐留貨物駅、現・廃止)〜横浜(現・根岸線桜木町駅)間に開業したのは、明治5年9月12日(新暦1872年10月14日)のことです。
これを記念し、1922年から10月14日を鉄道記念日として鉄道省により制定されました。
1994年に運輸省(現・国土交通省)が「鉄道記念日から「鉄道の日」と改称を提案し、JRだけでなく全ての鉄道事業者が祝う記念日となったのでした。
「鉄道の日」に関連して、鉄道各社では様々なイベントを開催するようです。
鉄道フェスティバル :東京日比谷公園
ファミリー鉄道展(小田急電鉄):海老名電車基地(海老名検車区)
興味のある方は是非、参加されてみてください。
僕は連休を利用し、昔読んだ本を読み返してみようと思ってます。