哀愁のスカンジナビア
- 公開日
- 2016/02/22
- 更新日
- 2016/02/24
校長
哀愁のスカンジナビア
前回までの話の主な舞台となった伊豆は距離的にも近く、個人的にもなじみの深い場所の一つです。
四半世紀前に亡くなった祖母は伊豆の出身で伊豆の各地に親戚が多く、戸田にも親戚がありました。子どもの頃は祖母に連れられ、沼津から船で戸田を訪ねたりしていました。高校生の時には修善寺から河津までテントを持ってキャンプしながら寄り道をして歩きました。自転車でも何度か走ってるのですが、坂が多く・・・。免許を取ってからはオートバイや車で何度も出かけたものでした。
今でも伊豆半島はお手頃なドライブコースです。
そんななじみの深い伊豆半島ですが、忘れられない景色があるので紹介しようと思います。
沼津市西浦といっても地理的にピンとこないですよね。内浦湾、三津浜といった方がわかりやすいでしょうか。淡島マリンパークや三津シーパラダイスがあるところです。
シーパラダイスからさらに下田方面に1キロほど行ったところに長井崎トンネルがあります。そのトンネルを抜けたところに今回お話しする「スカンジナビア号」が係留されていたのでした。
されていたということは、現在はされていないということで、結論から先に言うとこの船は、2006年9月2日上海へ向け曳航中、潮岬沖で沈没してしまったのです。
この船には様々な思い出があります。
言葉で表現するのは難しいのですが、白い船体に2本のマスト、大変優雅な姿で内浦の静かな海にたたずんでおり、何ともいえない気品がありました。
この船はホテルとレストランを営んでおり、レストランのバイキングに何度か行きました。結構なお値段でしたが、ダイニングには贅をこらした調度品や木製のレリーフや美しいガラス彫刻などの美術品が多くありました。勿論、船内を見学することもできました。特にダイニングの天窓の北極星を中心に星座を描いたガラス彫刻は見事でした。船内の階段にも様々な意匠が凝らしてありました。映画タイタニックの船内をイメージしていただけるとよいかと思います。
船の由来について少し触れてみます。
スカンジナビア号は1927(昭和2)年2月23日にスウェーデンのエイナー・ハンセン氏のプライベートヨットとして建造されました。全長127メートル、船底からマストトップまでは44メートル、総トン数5105トンもあるこの船はヨットというよりも豪華客船そのものです。本来の船名はステラポラリス号といい、北極星を意味するのだそうです。この船で世界の富豪や著名人を乗せ、クルージングツアーを行っていたのです。
クイーン・メリー号(1936〜1967)やクイーン・エリザベス号(1969〜2004)などの内装や設備は、このステラポリス号を参考にして決められたそうです。
1970(昭和45)年日本に回航され、西伊豆三津浜に錨をおろし、海に浮かぶホテル・スカンジナビアとして営業していました。
晩年は営業悪化からホテル営業をやめ、レストランのみ2005年3月末まで営業していました。
営業が悪化する中、2004年5月にはカリブ海にあるイギリス領バージン諸島のランティー社との売却交渉が始まりますが、失敗に終わります。その後2006年8月31日にスウェーデンの不動産会社への売却が決まります。
そして、同年9月2日、上海で改修した後、生まれ故郷のスウェーデンへ引き渡す予定であったスカンジナビア号は、上海への曳航中に潮岬沖3キロの地点で浸水し、沈没してしまいます。
スカンジナビア号が係留されていた西浦にあるレストラン「海のステージ」では、今週末2月27日(土)に、
「世界海事遺産 伝説の船 ステラポラリス(スカンジナビア)の航海(たびだち)」
と題して、建造90年記念講演と思い出を語る会が開かれます。
お時間のある方は、戸田と併せて訪ねてみてください。
スカンジナビア号の優雅な船体と富士の見える風景は、忘れられない景色の一つです。
また、船に興味のある方は、横浜の日本郵船歴史博物館も楽しいですよ。
創業130周年を記念して特別展を行っています。
氷川丸を見学した後、是非お立ち寄りください。