滄浪閣(伊藤博文の別邸)

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伊藤博文は天保12(1841)年9月2日林十蔵、こと子夫妻の子、利助として産まれました。
9さいまで山口県光市文字東荷で過ごし、家が貧しかったため、12歳ごろから奉公にだされたそうです。
その後萩に移り住み、父十蔵が長州藩士、伊藤家の養子となったため伊藤性を名乗りました。
吉田松陰の松下村塾に学んだ後は 桂小五郎、高杉晋作、井上馨 、山県有明らと倒幕運動に奔走しました。
明治維新後は、「伊藤 博文」と、改名し、長州閥の有力者として、大蔵民部少輔、初代兵庫県知事、初代工部卿、宮内卿などの、明治政府の様々な要職を歴任しました。
明治18(1885)年には初代内閣総理大臣となり、また、同22(1889)に発布された大日本帝国憲法制定の中心人物として活やくするなど、明治を代表する 政治家になりました。
小田原とのつながりは、1889年に、父の十蔵の隠居地として小田原町緑1町目8番地(現在の小田原市栄町)に居宅を建設しました。
自身も枢密院議長辞任の意志を表明して小田原への永住を決めていたとみられていて、
同年10月に海岸の御幸の浜に面した小田原町十字六百四十三番地(現在の小田原市本町)に別邸建設を開始しました。
そして、翌年の10月に「滄浪閣」と命名し、1896年2月滄浪閣の名とともに大磯に移って、小田原を去るまで居を構えていたそうです。
現在三の丸学区の「滄浪閣」跡には伊藤博文の像が建っています。三の丸学区に初代内閣総理大臣がいらっしゃったというのは驚きです。

詳しい場所やその他の別荘跡地などが掲載されている小田原市のHPです。

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