全校道徳 教頭の尊敬する人「星野富弘さん」の紹介
- 公開日
- 2024/06/20
- 更新日
- 2024/06/21
学校行事
6月18日(火)朝会は、「全校道徳」でした。
今回は、教頭が担当しました。
次のような話をさせていただきましたのでご紹介します。
(スライドの写真は提示できなくて申し訳ありません。)
今日は、教頭の私がすごく尊敬している人を紹介します。
星野 富弘さんという方です。
今年の4月28日に78歳でお亡くなりになられたばかりです。
尊敬している人が亡くなるというのはとても悲しいことです。
素晴らしい方なので、その方のことを、どうしても皆さんに知ってもらいたいと思って今日の話題に選びました。
まずは、小学生時代の富弘さんを紹介します。
(スライドの写真を提示しながら)
写真の上の方でベロを出しておどけているのが富弘さんです。
昔から、冗談ばかり言って、ユーモアたっぷりの方だったそうです。
(スライドの写真を提示しながら)
これは、大学生時代の富弘さんです。
体育を専門に学び、運動が大得意だったと聞いています。
筋肉もりもりですね。
大学では、機械体操部に入って、選手として活躍されたそうです。
ここで、クイズです。
運動が大の得意で、筋肉もりもりの富弘さんは、大学を卒業してから何になったでしょう?
1体操の選手
2体操のお兄さん
3体育の先生
正解は・・・体育の先生です。
23歳で中学校の体育の先生になって、生徒に大好きな体操を教えていたそうです。
しかし・・・難しい技の手本を見せていた時に、失敗して頭から地面にたたきつけられて首の骨が折れてしまいました。
その事故により、首から下が全く動かなくなってしまいました。
それ以来、だれよりも運動が大好きだった富弘さんが、ずっとベッドに寝たきりの生活を送らなければならなくなってしまったのです。
さて、ここでもう一つクイズです。
富弘さんは、首をけがしてから、合計で約何年間入院したでしょうか?
少し考えてみてください。
・・・
答えは、9年間です。
1970年6月17日から1979年9月14日までの約9年間入院していました。
最初は動けなくなった自分が嫌になって、死にたくなってしまったこともあるそうです。
想像してみてください。
みなさんは、もしも首から下が完全に動かなくなってしまったらどう思うでしょうか?
・・・
でも、富弘さんはたくさんの時間をかけて困難を乗り越えました。
きっかけは、病院にお見舞いに訪れてくれた人たちが持ってきてくださった花だったそうです。
花がとってもきれいだったので、思い立ち、描きたくなったそうです。
病院の看護師さんに、口に筆をくわえて横向きの体勢で書けばかけるのではないかとアドバイスをもらい、少しずつ描くうちに、それが生きがいになっていったそうです。
絵の具の色は、お母さんが富弘さんの指示通りに混ぜて作ってくれたそうです。
(後に、結婚されてからは奥様)
少しずつ書き溜めた花の絵を展示した展覧会が開かれることになり、たくさんの人が見に来てくれたそうです。
そして、ある日、ついに、9年間入院した病院から退院する日がきました。
大勢の人に見送られて嬉しそうですね。
退院してから、家でもたくさんの絵を描きました。
富弘さんは、字も一生懸命に練習して書けるようになりました。
(スライドを提示しながら)
これは、初めてかいたカタカナです。
(スライドを提示しながら)
絵の練習も、始めはこのようなペン画から始めたとのことです。
これは、入院中の様子を描いたものです。
(スライドを提示しながら)
これは。詩画といって、花の絵と富弘さんが考えた言葉を一つの作品にまとめたものです。口に筆をくわえてかいたとは思えないくらい上手だと思いませんか。
言葉も、とても感動します。読む人が「自分もがんばらなきゃ」と励まされます。
「私の首のように茎が簡単に折れてしまった
しかし菜の花は そこから芽を出し 花を咲かせた
私もこの花と同じ水を飲んている
同じ光を受けている 強い茎になろう」
「私は傷を持っている
でも、その傷のところから あなたのやさしさが しみてくる」
「冬があり 夏があり 昼と夜があり
晴れた日と 雨の日があって ひとつの花が咲くように
悲しみも 苦しみもあって 私がわたしに なってゆく」
富弘さんの作品はほかにも素晴らしいものがたくさんあるのですが、ここで、
(スライドを提示しながら)
代表作「いのち」を紹介します。
「いのちが 一番 大切だと思っていたころ 生きるのが 苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日 生きているのがうれしかった」
この詩を読むといつもとても悩むのですが、
「いのちよりたいせつなもの」なんてあるのでしょうか?
みなさん、少し考えてみてください。
・・・
富弘さんは、生前「答えは自分の中にある」とおっしゃっています。
みなさんは、自分で考えたことを、このあと担任の先生から配られた紙に、今日のお話の感想とともに書いてみてくださいね。
始めに言ったように、星野富弘さんは残念ながら亡くなってしまいましたが、関係者の方にみなさんが書いたものを送って読んでいただきたいと考えています。
それでは、私が尊敬する「星野富弘さん」の紹介を終わりにします。
興味がわいた人は、ぜひ、富弘さんの他の作品にもふれてみてください。
これで、私からのお話はおしまいにします。