学校日記

ようこそ先輩!

公開日
2023/11/10
更新日
2023/11/10

校長室から

今週の木曜日の朝の時間に、読み聞かせの特別企画として、いつも算数ボランティアで6年生の学習のサポートをしてくださっている力石さん(片浦小のご出身です)が、片浦小の校歌の歌詞のことや、小学生の時のことを5年生にお話ししてくださいました。(6年生に続いて2回目になります)
力石さんは昭和30年代に小学生だったとのことですが、当時は1学年2クラスで、1クラス40〜45人ぐらいの子ども達が学んでいたようです。授業参観の時などは、参観の方が教室に入りきらず、教室と廊下を隔てている窓を取り外して、ほとんどの方は廊下から学習の様子を参観していたとのことでした。
写真の校舎は昭和10年ごろのものですが、力石さんもこの校舎で学ばれていたとのことでした。力石さんのお話とは離れますが、学校の資料によれば、108年前の学校創立時は、根府川に本校舎があり、石橋と江之浦にも「分教場」として別の校舎があったそうです。分教場では1〜4年生が学んでいて、5年生以上の小学生や高等科の生徒は根府川の本校舎で学んでいたそうです。
力石さんに当時の給食の様子もお話ししていただきましたが、当時は今のような給食という仕組みはなく、保護者の方が輪番で、子ども達の食事を作ってくれていたとのことでした。ぶり、あじ、いわしなどの魚が出ることが多く、11月頃からは毎日のようにミカンが出されたそうです。しかしながら片浦地区では、どこのご家庭でもだいたいミカンを育てていたので、あまり有難くなかったとお話しされていました。片浦地区の漁業とミカン栽培の歴史を垣間見たように思いました。鯨の肉も多かったというお話に子ども達は驚いていました。私が小学生の頃も、鯨肉を使った料理が給食で提供されていましたので、世代間ギャップを実感しました・・。
最後に後輩たちに向けて「6年間は短い。楽しんでほしい。」「嫌なことがあるかもしれないけれど、ゆっくり寝て気持ちを切り替るといいのでは。そして、窓から相模湾を眺めれば、気持ちもすっきりすると思うよ」とメッセージがありました。何も考えずに、頭の中を空っぽにして、ぼーっと海を眺める時間があっていいですよね・・・学校ではなかなか難しいことでしょうか。現代社会は、音や文字や映像、頭の中を刺激する情報が多すぎるかもしれません。
「学校の7不思議はありましたか」と質問した子がいました。力石さんの答えは「なかったなぁ」でした。その子はちょっと残念そうに見えました。