校長室だより
- 公開日
- 2015/11/10
- 更新日
- 2015/11/10
校長ブログ
小田原市では毎年10月に小学校体育大会が行われます。今年も先月の23日に開催され、本校の6年生が参加しました。子どもたちは、競技や演技に真剣に取り組んだり、種目に出場する仲間へ大きな声援を送ったりするなど、充実した一日を過ごしました。
ところで、大会会場である城山競技場は本校から近い距離にあるため、子どもたちは徒歩で行き来しますが、その途中に空堀を見ることができます。
この空堀は、「小峯御鐘ノ台大堀切(こみねおかねのだいおおほりきり)」といい、安土桃山時代に北条氏が豊臣秀吉との戦に備え、小田原城とその城下を土塁と空堀で囲んで築いた「総構(そうがまえ)」の一部だそうです。私も何度か歩いたことがあるのですが、堀は深くて幅が広く、急斜面になっていて、小田原城が難攻不落といわれたわけが分かります。また、このような大がかりな堀を約9Kmに渡って築いた北条氏の勢力の大きさもうかがえます。
この総構の西の境が本校の学区になっていて、400年以上前の昔には豊臣方の武将たちが布陣していたと思われます。当時の大窪人たちは10万を超える軍勢に驚くとともに、これから自分たちの暮らしがどうなるのか不安な気持ちで戦の決着を見守っていたことでしょう。
本校の6年生の社会科で小田原合戦を扱う授業を参観した後、私も参陣した武将を調べ、その領地を現在の地図に照らし合わせてみました。地図が豊臣側に塗りつぶされていくにつれて、北条氏がいかに巨大な敵と対峙していたのか改めて思い知らされました。絶望的な戦いに臨む人々の心境が伝わってくるようでした。
北条氏の滅亡に関しては、情報収集力や状況分析力、判断力等の甘さを指摘する意見を耳にしますが、経済力や動員力、情報力など秀吉の想像を絶する総合力に呑み込まれてしまうことは歴史の必然だったように思います。小田原に暮らす者として少し悔しい気持ちはしますが、当時の小田原人が残した教訓を大切にしていきたいとも考えます。
それにしても、今と歴史が往来する小田原はとても魅力的な町です。