不便を活用
- 公開日
- 2014/06/05
- 更新日
- 2014/06/05
お知らせ
6月5日(木)不便を活用
先日、ある県立高校の校長先生と話す機会がありました。御殿場線を使って登校する生徒がほとんどのその高校では、「生徒の行動がとても規則的になるメリットがある」のだそうです。どうしてそうなるのかという分析を校長先生から聞くと、「御殿場線は1時間に1本しかなく、朝電車を1本逃すと、1時間遅刻となってしまう。同様に、帰りの電車も1本逃すと1時間近く学校で待たなくてはいけなくなる。だから常に時間を気にするようになり、結果的にそれが生活全般でプラスとなり、規則的な生活が身につくようになる」とのことでした。「城山競技場での体育大会も欠席者ゼロ、遅刻者ゼロ」というのも聞き、その校長先生は「本当にうちの生徒は学校が好きなんです。3年生がゴミを拾っていると、それを見ていた1年生も自然にゴミ拾いを手伝ってくれ、その3年生が“1年生が手伝ってくれたことがうれしかった”とツイッターでつぶやいていた」とも。
ではこの高校のように、不便をメリットに換える何かが白鴎中学校にあるのか?ということを考えてみましたが、思い当たりません。もし私が今の中学生だったとして考えてみると、最大の不便は「和式トイレ」です。私は一人っ子ですが「“長男です”ではなく、“三男です”ではなく、その間の“○なんです”」なので、洋式トイレは私の中では必須事項です。学校はすべて和式トイレなので困ったなぁ、なんですが、この夏に各階のトイレに一つずつですが、洋式トイレに改修してくれることになっています。(職員トイレはすでに洋式トイレです。)トイレといえば、日々進化していて、センサーで便座が自分で開いたり、ウォシュレットできれいになるし、乾燥ボタンで乾かしてもくれ、立ち上がれば自然に水が流れ、さらに手を差し出すだけで水が自動で出てきて手を洗えるし、どんどん進化して便利になるのはいいのですが、それは本当に人間にとっていいことなのか?とも考えます。「至れり尽くせり」の学校では逆に生徒は育たなくなり、不便の中でもそれに耐える力をつけることこそこれから激動の社会を生き抜く力をつけさせる一歩になる、と思っています。