校長室だより3月に入って陽ざしも温くなり、風の冷たさも和らぐ日が続くようになるとともに、本校を訪れる小鳥たちも賑わいを見せるようになり、春の足音を実感することができてはいたものの、やはり桜の花を実際に見ると待ち望んでいた春になったという思いが強くなります。 春を彩る花はたくさんあるけれども、桜だけを別格に感じることは考えてみると不思議です。桜の花言葉は「精神の美」なのだそうですが、青空に咲く花を見ると確かに日本人の心の美しさを表しているように思えます。 ところで、ニュース番組でも先週から度々桜の開花状況が伝えられるようになってきましたが、キャスターたちの交代も耳にするようになりました。朝と晩のニュース番組の視聴を日課とし、キャスターたちを共に過ごしてきた「仲間」のように勝手に思っている私にとり、馴染み(?)ともいえる顔が見られなくなるのかと思うと少し寂しい思いがします。 今まであったものがなくなってしまう、毎日会っていた人と会えなくなってしまうことは、否応なしに自分が過ごしてきた日々に区切りをつけさせられるような気がします。私にとっての大きな区切りは、15年近く読み続けてきたシリーズ本が完結したことと、15年間お世話になってきた珈琲店が閉じたことでしょうか。心の中に小さな穴ができてしまったように感じています。この穴を埋めるため、新しい「出会い」を探そうと思っています。 さて、先週は卒業式と修了式という学校にとっての大きな区切りがありました。今は無事に終わったという安堵感を感じる一方で、1年間が終わってしまったなという寂寥感も感じています。 でも、1日からは新年度が始まり、来週の5日には本校の「開花日」を迎えます。校舎内外に明るく華やかな花々が咲き揃うのが今から楽しみです。 この1年間本校の教育活動にたくさんの方々から温かいお力添えをいただきました。心よりお礼申し上げます。 校長室だよりさつまいもは子どもたちが食べやすいように一口大にカットされ、一目見てホクホク感が伝わるほどきれいな色に素揚げされていて、甘さ控えめのシロップがかかっていました。しつこい甘さはなく、さっぱりと素材のおいしさが引き出されているので、もう一杯ぐらいは食べられそうなほどでした。 ところで、もともと私はさつまいもが特に好きなわけでもなく、家でも食卓に蒸かしいもや焼きいも、スウィートポテトなどが出されても進んで手が伸びることはないのですが、なぜか大学いもには心が動かされます。 私が小学生だった頃、母方の祖母が近所に住んでいたこともあり、よく大学いもを持ってきてくれました。私の好物ということで、孫を喜ばせようと作ってくれたのでしょう。 祖母の大学いもは給食とは違い、二口か三口で食べるような結構大きめに切られていて、モグモグしながら食べました。砂糖を惜しげもなく使ったかのようなとても甘い味付けで、黒い胡麻がかかっていました。今のように甘いおやつが少ない頃だったので、ご馳走のように思ったことを覚えています。ただ冷めると厄介で、器から剥がすのが大変でした。 さすがに今では好物とは言えませんが、盛りつけられたものを見ると妙に郷愁のような思いを感じます。俗に言う「おばあちゃんの味」でしょうか。祖母の思い出を綴る「なつかしの味」を舌が覚えていることは、平凡なことだけれど大変ありがたいことだと思います。 このようなプチ幸福感に浸りながら、今度は自分の子どもたちに残す「おやじの味」を考えようかなと思いました。 |
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