11月26日(木)の給食ぎゅうにゅう むぎごはん なまあげのカレーに こまつなのごまいため ぶどうゼリー 赤い羽根の共同募金始まりました!校長室だより子どもの頃、我が家の食卓にも時々蒲鉾が載りました。もちろん醤油につけて食べることが多いのですが、天ぷらにするほか、蒲鉾を薄く切って梅肉と和えたり、厚く切った蒲鉾の真ん中に切れ目を入れて酢飯を挟んだりして食べました。でも、私は蒲鉾の上にマヨネーズをたっぷりかけて食べるのが一番好きでした。今ではドクターストップがかかってしまいますが・・・。 この「蒲鉾」という文字を古文書の中で最初に見つけることができるのが平安時代の1115年であることから、11月15日を「かまぼこの日」としたそうです。今年で誕生900年ということになります。 小田原蒲鉾の歴史はさすがにそこまでの歴史はないようですが、最初に店ができたのは江戸時代の徳川家治の治世下、時代劇でもお馴染みの田沼意次が活躍した頃だそうです。ひょっとすると田沼老中も蒲鉾を食べていたのかもしれないと思うと、自然に笑みが出てしまいます。 本校では3年生が社会科で蒲鉾の学習をします。今年も、職人の方に来ていただいて蒲鉾作りを体験したり、お店を見学させていただいたりするなど、子どもたちは意欲的に学ぶことができました。 学習したことで関心を高めたからか、3年生の夏休みの自由研究で、いくつかの店の蒲鉾の味やにおい、弾力感などについて調べた結果を表にまとめた作品がありました。おもしろい取り組みだなとその時に思ったことを「かまぼこの日献立」で思い出し、職員室でもやってみることにしました。(写真右)見た目に違いがあるだけでなく、形や味、弾力感など、店ごとに微妙な違いのあることが実感としてよくわかりました。そして、この違いこそがそれぞれの店の「こだわり」であり、おいしい蒲鉾を作ろうとする追究の姿勢から生まれるものだなと感心しました。同時に、「もの」作りの伝統のすばらしさを感じるとともに、伝統の味を次へ伝えていくことの大切さを改めて考えさせられました。 ところで、今の私のお気に入りの食べ方は、やはり「板わさ」です。これからも蒲鉾の旨さをしっかりかみ締めていきたいと思います。 11月24日(火)の給食ぎゅうにゅう むぎごはん ぶたにくのみそづけやき だいずのいそに やさいふりかけ 11月20日(金)の給食ぎゅうにゅう ソフトフランスパン ペンネのトマトグラタン ふわふわたまごのスープ 5年 あいさつ運動を行いました
11月19日(木)に、大窪プロジェクト提案の「あいさつ運動」がありました。今回の担当は、5年生です。みんなで昇降口前に並び、登校してくるみんなに元気に朝のあいさつを行いました。
1年生 上ばき洗い11月19日(木)の給食ぎゅうにゅう むぎごはん さんまのしょうがに けんちんじる 5年 小田原市音楽会に参加しました
5年生は、11月12日(木)に小田原市音楽会午後の部に参加しました。練習の成果を十分に発揮し、素敵な歌声をホール全体に響かせていました。
1・2年キウイ・ミカン狩り
生活科の学習「秋をみつけよう」で、1・2年仲良く地域の方の畑にキウイとミカン狩りに行きました。子どもたちは、たくさんの大きなキウイを見てビックリ!!上手にもぐことができました。もぎたてのミカンはとても甘くて美味しかったです。たくさんの秋を感じてきました。
11月17日(火)の給食ぎゅうにゅう ちゅうかどん あげはるまき 11月16日(月)の給食ぎゅうにゅう むぎごはん とりにくのこうみやき やさいのふくめに 5年 一人一鉢栽培でブロッコリーを植えました
11月11日(水)に一人一鉢栽培でブロッコリーを植えました。これから、みんなで観察しながら大切に大きく育てて、収穫したいです。あわせて学級園の整備も行いました。
11月13日(金)の給食ぎゅうにゅう こめこロールパン かまぼことさけのもみじやき ABCスープ フルーツゼリー (かまぼこのひこんだて) 11月12日(木)の給食ぎゅうにゅう むぎごはん ぶたにくのあまからに おだわらやさいのみそしる 11月11日(水)の給食ぎゅうにゅう ちゃんこうどん こおりどうふのこはくあげ ふれあい広場in大窪2015《PTAバザー》
11月7日(土)の午後、「ふれあい広場in大窪2015(PTAバザー)」が開催されました。
子どもたちは、たくさんのお店を回って、買い物やゲームをして楽しみました。高学年の子どもたちは、お店の手伝いでも活躍しました。 ご協力いただいた協賛店や地域の皆様、そして、保護者の皆様、大変ありがとうございました。 ふれあい広場に参加しました(わかば級)大勢の方に、お店に来て頂けて、たくさんのふれあいができました。 みなさん、わかばのお店に来て下さって、ありがとうございました。 また、当日までの準備も多くのボランティアさんに協力して頂きました。 今回も多くの方々に支えて頂いて素敵な活動ができました。 5年 音楽朝会で歌を披露しました
11月10日(火)の音楽朝会で、小田原市音楽会で歌う「Let`s Search For Tomorrow」を全校に披露しました。体育館に素敵な歌声を響かせていました。その後、「もみじ」を全校で歌いました。最後にサプライズで6年生が中心となり、5年生にエールをおくってくれました。
校長室だよりところで、大会会場である城山競技場は本校から近い距離にあるため、子どもたちは徒歩で行き来しますが、その途中に空堀を見ることができます。 この空堀は、「小峯御鐘ノ台大堀切(こみねおかねのだいおおほりきり)」といい、安土桃山時代に北条氏が豊臣秀吉との戦に備え、小田原城とその城下を土塁と空堀で囲んで築いた「総構(そうがまえ)」の一部だそうです。私も何度か歩いたことがあるのですが、堀は深くて幅が広く、急斜面になっていて、小田原城が難攻不落といわれたわけが分かります。また、このような大がかりな堀を約9Kmに渡って築いた北条氏の勢力の大きさもうかがえます。 この総構の西の境が本校の学区になっていて、400年以上前の昔には豊臣方の武将たちが布陣していたと思われます。当時の大窪人たちは10万を超える軍勢に驚くとともに、これから自分たちの暮らしがどうなるのか不安な気持ちで戦の決着を見守っていたことでしょう。 本校の6年生の社会科で小田原合戦を扱う授業を参観した後、私も参陣した武将を調べ、その領地を現在の地図に照らし合わせてみました。地図が豊臣側に塗りつぶされていくにつれて、北条氏がいかに巨大な敵と対峙していたのか改めて思い知らされました。絶望的な戦いに臨む人々の心境が伝わってくるようでした。 北条氏の滅亡に関しては、情報収集力や状況分析力、判断力等の甘さを指摘する意見を耳にしますが、経済力や動員力、情報力など秀吉の想像を絶する総合力に呑み込まれてしまうことは歴史の必然だったように思います。小田原に暮らす者として少し悔しい気持ちはしますが、当時の小田原人が残した教訓を大切にしていきたいとも考えます。 それにしても、今と歴史が往来する小田原はとても魅力的な町です。 |
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