【校長のつぶやき】子供たちが学び合い高め合う授業を求めて(令和5年1月30日・月)教師は、たまにしか口出しをせず、ほとんど子供たちの相互指名で話し合いが展開する…。もちろん、毎回このような授業を展開することはできませんが、学習問題が自分たちにとって本当に学びたいもので、解決したいと思うからこそできる授業であり、今でこそ「主体的・対話的で深い学び」という言葉が叫ばれていますが、その理念を具現化した授業であると言えます。大学時代の恩師も同じような立場で、小林先生とも同じ教育団体で授業研究をされていたことから、私もそのような授業を追究したいと、その研究会に関わっていました。 教え子たちには、「先生が話すより、みんながたくさん話す方がいい授業だよ。」などという学年のはじめに話していたこともありました。子供たちも「いい授業」を目指し、自分たちで進めようとします。授業だけでなく、日頃の学級経営に関すること(係の仕事やクラス集会など)も、自分たちで考え、自分たちの力で実行するという機会を大事にしてきたつもりです。子供たちは、「自分たちは先生に信頼されて、任されている。」という自負や自信をもち、意欲的になり、たくましくもなります。 しかし、子供たちに任せっぱなしでは、高まったり深まったりすることが難しいことも多々あります。教師が、どのタイミングでどの程度働きかけるかも重要です。授業でも、日頃の学級経営でも、私はこの「教師の出」について、反省の連続でした。正解はないのかもしれませんが、常に「どうすればよかったのだろう」ということを追究し続けることは忘れずにいたいと思います。この気持ちを忘れると、きっと成長は止まります。 もう一つ、小林先生や大学の恩師から影響を受けていることに、「子供一人一人の思いに寄り添う」ということがあります。「この子の発言は、どういう思いから出たことなのだろう?」「この子は、どうしてこのような行動をとるのだろう?」…授業時はもちろんのこと、児童指導時(例えば児童相互のトラブルや問題行動と思われるようなことが起きたときなど)にも、教師として必要不可欠な視点だと考えています。他人の思いを分かりきることはできません。でも、人の思いを分かろうとする気持ちをもち続けたいと思っています。 さて、本校の職員は、今日の小林先生のお話を聞いて、どう考えるでしょうか? |
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