学校での子どもたちの様子をお伝えします。

「時」にまつわるお話 その4

「うるう秒」その2

前回に引き続き「うるう秒」についてお話しします。

うるう秒とは、簡単に言うと地球の自転にムラがあり、そのムラを修正するためにうるう秒を設けています。

私たちの日常生活は太陽の動きと深くかかわっています。そのため、日常的に使われている時系は、地球の運行に基づく天文時系である世界時(UT)に準拠するように調整された原子時系です。これを協定世界時(UTC)と呼びます。

地球の自転速度は、潮汐摩擦(ちょうせきまさつ:潮流によっておこる海水と海底との摩擦。これによって地球の自転速度は遅れ、1日の長さが 100年につき 1000分の1秒ほど長くなり、その運動量の移動によって、月の公転は加速され、1年に3cmの割合で月は地球から遠ざかる)などの影響によって変化するため、世界時(UT)と協定世界時(UTC)との間には差が生じます。そこで、協定世界時(UTC)に1秒を挿入・削除して世界時(UT)との差が0.9秒以上にならないように調整しています。この1秒は「うるう秒」と呼ばれています。

ここからが少し複雑なのですが、
うるう秒調整は1972年の特別調整以降導入されました。
2012年までに行われたうるう秒調整は25回ありますが、すべて協定世界時(UTC)にうるう秒を挿入する調整であったため、協定世界時(UTC)は国際原子時(TAI)に対して35秒遅れています。今回は26回目のうるう秒の挿入となります。

国際原子時(TAI)とは、セシウム133原子の遷移(せんい)周期(91億9263万1770周期)を使い、数十万年に1秒ずれるだけの高精度な時計です。
ちなみに1秒の長さの定義は、かつては地球の自転や公転に基づいた天文学からの定義が採用されていたのですが、1967年に原子放射の周波数に基づく量子力学からの定義に改定されました。
その結果、原子時計に基づく時刻と天文時に基づく時刻との間でずれが生じるようになりました。その調整に、うるう秒が挿入されます。(うるう秒が挿入されるのは協定世界時(UTC)です。)

世界時(UT)、協定世界時(UTC)、日本標準時(JST)、国際原子時(TAI)の関係について確認しないと混乱が生じます。

詳しくは情報通信研究機構のホームページをご覧ください。
情報通信研究機構のホームページには、閏秒に関するQ&Aものってます。
情報通信研究機構(NICT)本部:東京都小金井市貫井北町4−2−1

余談ですが、原発事故で話題になったセシウムはセシウム137です。
この放射性セシウムは、核実験や原発事故によって大気中に放出される人間が作り出した放射性物質です。半減期は30.07年で長い間放射能の影響が残ります。

私たちが通常使っている時計の多くは、水晶振動子を利用したクォーツ時計です。電波時計も多くなってきておりますが、情報通信研究機構では原子時計を元に作られた正確な時刻情報を標準電波(JJY)として、福島県田村市と福島県双葉郡川内村境界の大鷹鳥谷山(おおたかどややま)、佐賀県佐賀市と福岡県糸島市境界の羽金山(はがねやま)の2カ所から送信してます。その電波を受信してクォーツ時計の誤差を修正しているのが電波時計です。

たかが1秒、されど1秒・・・
小泉吉宏(よしひろ)さんの「一秒の言葉」という詩にもありますが、うるう秒の挿入に際し、1秒が社会に与える影響について考えてみるというのはいかがでしょうか。


時に関するお話 その3

「うるう秒」その1

今年の7月1日に、3年ぶりに「うるう秒」の挿入が実施されます。
日本標準時の維持・通報をおこなっている情報通信研究機構(NICT)では、前回はうるう秒の挿入にあたって、「午前8時59分60秒を見てみませんか?」とさかんにPRしていました。

一般に市販されている電波時計は常時信号を受信しているわけではありませんし、うるう秒の表示には対応しません。それでは、どうやって午前8時59分60秒を見ようと言うのでしょうか。

東京都小金井市にあるNICT本部のビルには、大型のデジタル時計が設置され、うるう秒表示に対応しています。2012年7月1日と2009年1月1日のうるう秒実施当日には、大勢の見学者が集まったそうです。前回は日曜日でしたから見ることも可能でしたが、今回は平日なので難しいですが、可能であれば「午前8時59分60秒」を見てみたいものです。

なぜ、うるう秒の挿入が必要なのか?
簡単に説明することは難しいです。

うるう年とうるう秒についての説明は大変長くなります。
まず、どうしてうるう年があるのかについて、説明してみますね。

1年は365日といいますが、4年毎に366日となる(2月29日のある年)年があります。この年を「うるう年」といいます。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。
この原因は、1年の長さ(地球が太陽の周囲を一周する時間)が1日の長さ(地球が太陽を基準にして、1回転自転する時間)で割り切れないことにあります。では、1年の本当の長さは何日なのでしょうか。

  1年(太陽年)=365.2422日(太陽日)

1年の長さは、365日より少し(約5時間49分)長いようです。ですから、もし全ての年を365日とすると、約4.1年で1日、100年で24.22日分、暦が実際の季節より先行することになります。
この様に、暦と実際の季節がかけ離れてしまうことを防ぐために、うるう年を設けて調整しています。現在、用いられている太陽暦(グレゴリオ暦)では、うるう年を次のように決めています。

 ア 西暦年が、4で割り切れる年は、うるう年とする
    例 1966年
 イ アであっても、100で割り切れる年は平年とする
    例 1900年、2100年、2200年、2300年
 ウ イであっても、400で割り切れる年はうるう年とする
    例 1600年、2000年
身近な年としては、西暦2000年は、上記のウに当てはまりますので、うるう年となります。

グレゴリオ暦に従ってうるう年を設けると、400年間に97回のうるう年が入ります。グレゴリオ暦での400年間の日数と400太陽年の長さを比較すると、
 400年の長さ
  グレゴリオ暦  146097日
  太陽年     146096.88日

400年で0.12日(約3時間)の差が生ずるだけです。
グレゴリオ暦より、差の小さな置閏法(うるう年の入れ方)も考案されていますが、うるう年の置き方が簡単で覚えやすいことから、今でもグレゴリオ暦が広く使われております。

日本がグレゴリオ暦へ移行したのは明治6年(1873年)になってからです。それまでは太陰暦に基づいて、暦をつくっていました。いわゆる旧暦です。
この旧暦には様々なものがありまして、一般的には太陰太陽暦(天保壬寅暦)を指します。太陰太陽暦は月の満ち欠けをもとにしますので、うるう月をはじめ様々な誤差が生じてきます。
(太陰暦につきましては、自分自身がよく理解できてない上に、その説明は非常に長くなりますので、いずれまたの機会とさせていただきます。(笑))

長くなったので、本日はここまでとします。
次回は、「うるう秒」についてお話しします。

「時」にまつわるお話 その2

「夏至」

22日は24節季の夏至ですね。
梅雨まっただ中ですが、一年中で一番昼が長く夜が短い日ということです。
なお、一年で日の出の時刻が最も早い日および日の入りの時刻が最も遅い日のそれぞれと、夏至の日は一致しません。日本では、日の出が最も早い日は夏至の1週間前ごろであり、日の入りが最も遅い日は夏至の1週間後ごろです。本日(6月16日)の小田原(市役所)の日の出は4:27、日の入りは19:00で、昼の長さは14時間33分。夏至当日の22日は、日の出4:28、日の入りは19:02で1分長くなります。ちなみに日の出の早いのは6月13日で4:26、日の入りの遅いのは6月30日で19:03です。

春分から秋分までの間、北半球では太陽は真東からやや北寄りの方角から上り、真西からやや北寄りの方角に沈む。夏至の日にはこの日の出(日出)・日の入り(日没)の方角が最も北寄りになります。また、北回帰線上の観測者から見ると、夏至の日の太陽は正午に天頂を通過します。

夏至の日には北緯66.6度以北の北極圏全域で白夜となり、南緯66.6度以南の南極圏全域で極夜となるんだそうです。白夜とか極夜というのも体験してみたいですね。

天体(天文学)に関してはいろいろな不思議がいっぱいです。
古代より星と人の生活とは大きな関わりがあります。星の動きや星座の移り変わりで季節を知り、日常生活に役立つものとなっていきます。

僕が小学生の頃には今のようなゲームなどは当然無く、当時の多くの小学生の興味は、昆虫、星座、ラジオ、無線でした。
僕も昆虫採集に夢中になったり、高学年になると「ラジオの製作」や「初歩のラジオ」を夢中で読んでたりしてました。回路図をもとに部品を入手し、高一中二スーパー(高周波増幅1段、中間周波増幅2段のラジオ)の製作や電離層反射を利用した無線通信に興味を持ってました。また、天文小僧ではありませんでしたが夜空に輝く星をよく見つめてました。

星座のはじまりは5000年ほど前のメソポタミアのカルディアの人々が名付けたといわれてます。2世紀頃ギリシアのプトレマイオスが48の星座にまとめ、1930年になって88星座にまとめられました。これ以降星座絵というよりも天体の区画図といった意味合いが強くなります。

昨日のニュースで、群馬では突風が吹き車が横転したり屋根が飛ばされたり、太陽光パネルをはじめ多くの被害が出たと報じてました。梅雨前線の活動や湿舌との関係もあるのでしょうか。
梅雨もまだまだ序盤ですが、太陽の光が恋しいです。

僕が中学生の頃、エンゲルベルト・フンパーディンクの「太陽は燃えている」という曲がはやってました。(知ってる人は同世代!)
♪Love me with all of your heart  That's all I want, love
  Love me with all of your heart   Or not at all・・・・

その太陽活動はほぼ11年の周期で変動しており、周期的な変動をサイクルとして1755年から数えていて、2008年1月からは第24太陽活動サイクルが開始したと考えられています。

黒点活動も一時に比べ衰退傾向にあるようですが、太陽フレアによる電波の異常伝搬(デリンジャー現象やスポラディックE層など)やオーロラ爆発との関係も大きいようです。

太陽の黒点活動につきましては、宇宙天気情報センターのホームページや宇宙天気ニュースが詳細に扱ってますので参考にされてください。

「時」にまつわるお話 その1

「時の記念日」

2015年も早いもので、その半分が過ぎようとしています。
もうすぐ1年の半分が、年度の四半期が終わります。
年度当初の目標や計画は、予定通りに進んでますか?
前向きにできているところもあれば、ただこなしてるだけのところもあるのではないでしょうか。

年間計画や目標というのは4月当初に提示されることが多いのですが、その場限りのものではありません。意識を継続させながら、半期、もしくは月ごとの設定目標を日々の活動に落とし込んで、その計画と結果を比較検討することで進捗状況が検証できるのです。
何よりも大事なのは実践することですね。
“時間”を意識しながら、これをしっかりとやっていただきたいのです。

時間といえば、6月10日は「時の記念日」です。
『日本書紀』天智天皇十年四月辛卯条(天智天皇10年4月25日(671年6月10日))に日本初の時計が鐘を打った日とあり、6月10日が時の記念日となったそうです。
時計といっても、当時の時計は水時計です。容器に水が流入(流出)するようにして、その水面の高さの変化で時をはかる時計です。
それをつくったのが天智天皇であり、飛鳥寺の西にある水落遺跡がその遺構と言われています。

余談ですが、「大化の改新」で藤原鎌足(ふじわらのかまたり)と共に活躍した中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が667年に都を飛鳥から大津宮(近江朝廷)に遷し、翌年即位して天智(てんじ)天皇となります。

天智天皇は670年に最初の全国的な戸籍である庚午年籍(こうごねんじゃく)をつくり、徴税と徴兵を行いやすくしました。しかし、公地公民(こうちこうみん)制が徹底していない中で戸籍をつくったことは、地方豪族の反感をまねくこととなり、天智天皇の亡くなった翌年(672年)の壬申の乱(じんしんのらん)で近江朝廷が敗北する一要因となります。

壬申の乱とは、天智天皇の異母弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)と、息子の大友皇子(おおとものおうじ)との間におこった王位継承争いを発端としています。吉野に逃れた大海人皇子は東国で数万の兵を集め、飛鳥を平定し大津宮に進軍します。
大友皇子は西国で兵を集めますが、白村江(はくすきのえ)の戦いで疲弊し大津宮に反感を持っていた西国豪族の協力を得られず大津宮は陥落し、大友皇子は自害します。大海人皇子は飛鳥浄御原宮(あすかきよはらのみや)で即位し、天武(てんむ)天皇となります。

なお、「天皇」という君主の称号が使われはじめたのはこの天武天皇のときからとする説もあります。それまでは大王(おおきみ)と称していたとする説です。

※白村江(はくすきのえ、はくそんこう)の戦い
朝鮮半島では665年、高句麗(こうくり)と百済(くだら)が連合して、新羅(しらぎ)に侵攻します。新羅は唐(とう:中国)に救援を求め、唐は百済を攻め、その結果、百済は滅亡します。
朝鮮半島での倭国(わこく:日本)の優位性を高めようと倭国は百済遺民と連合し、唐・新羅連合軍と戦いますが、倭国・百済連合軍は663年白村江の戦いに於いて大敗します。

話を戻します。「時の記念日」は1920年に東京天文台と生活改善同盟会によって制定されました。当時の日本国民に「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と呼びかけ、時間の大切さを尊重する意識を広めるために設けられたのでした。

「時は金なり」など、時間にまつわるお話はたくさんありますね。

僕たちも段取りをつけ、目標を達成するためにすべきことは迅速にやっておく、それが必要になったときにすぐ出せる様な姿勢・体制をとっておくべきですね。
まだ大丈夫だと油断している間に大変なことになるというか、大変なことになってるんです!

いつの時代でも時間には限りがありますから、時間を有効に活用したいものです。

桐の花

桐の花

先日、6月の時候のあいさつを何にしようかと探してしていたら「桐の花の咲く候」というのがありました。そうか、桐の花は6月(初夏)に咲くんだったと再確認したのでした。

「桐」といえば、家具や琴の材料として用いられ、湿気を通さず、割れや狂いが少ないことから、高級木材として重宝されてきました。桐は成長が早いため、かつて日本では女の子が生まれると桐を植え、結婚する際にはその桐で箪笥を作り嫁入り道具にするという風習もあったようです。

桐は鳳凰(ほうおう)の止まる木として神聖視され、その紋章は嵯峨天皇の頃から天皇の衣類の刺繍や染め抜きに用いられるなど、「菊の御紋」に次ぐ高貴な紋章とされてきました。日本には白桐をもとに意匠化された家紋がいくつかあります。それらを総称して桐紋(きりもん)もしくは桐花紋(とうかもん)というのですが、中でも五七桐と呼ばれるスタイルが有名です。

また、中世以降は天下人たる武家が望んだ家紋としても有名で、足利尊氏や豊臣秀吉などもこれを天皇から賜っています。このため五七桐(ごしちぎり、ごしちのきり)は「政権担当者の紋章」という認識が定着することになったようです。私たちが、教科書などで見る織田信長像もこの五七桐の花紋のついた裃を着ています。しかし、徳川家康は天皇からの桐紋の下賜を断り、三つ葉葵を家紋としています。

現在でもこの五七桐の花紋は「日本国政府の紋章」として、ビザやパスポート、500円硬貨にも使用されています。

修学旅行でお世話になった旅館の食器には五三桐(ごさんのきり)がプリントされてました。法務省や皇宮警察はこの五三桐を使用しております。
(家紋は植物だけではありません。鳥やその羽、雪輪などいろいろです。)

植物と人々との関わりも様々ですね。

時候のあいさつから家紋へと話が飛躍してしまいましたが、季節の花である「桐の花」を探してみてください。身近なところにあると思います。
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