学校での子どもたちの様子をお伝えします。

「時」にまつわるお話 その1

「時の記念日」

2015年も早いもので、その半分が過ぎようとしています。
もうすぐ1年の半分が、年度の四半期が終わります。
年度当初の目標や計画は、予定通りに進んでますか?
前向きにできているところもあれば、ただこなしてるだけのところもあるのではないでしょうか。

年間計画や目標というのは4月当初に提示されることが多いのですが、その場限りのものではありません。意識を継続させながら、半期、もしくは月ごとの設定目標を日々の活動に落とし込んで、その計画と結果を比較検討することで進捗状況が検証できるのです。
何よりも大事なのは実践することですね。
“時間”を意識しながら、これをしっかりとやっていただきたいのです。

時間といえば、6月10日は「時の記念日」です。
『日本書紀』天智天皇十年四月辛卯条(天智天皇10年4月25日(671年6月10日))に日本初の時計が鐘を打った日とあり、6月10日が時の記念日となったそうです。
時計といっても、当時の時計は水時計です。容器に水が流入(流出)するようにして、その水面の高さの変化で時をはかる時計です。
それをつくったのが天智天皇であり、飛鳥寺の西にある水落遺跡がその遺構と言われています。

余談ですが、「大化の改新」で藤原鎌足(ふじわらのかまたり)と共に活躍した中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が667年に都を飛鳥から大津宮(近江朝廷)に遷し、翌年即位して天智(てんじ)天皇となります。

天智天皇は670年に最初の全国的な戸籍である庚午年籍(こうごねんじゃく)をつくり、徴税と徴兵を行いやすくしました。しかし、公地公民(こうちこうみん)制が徹底していない中で戸籍をつくったことは、地方豪族の反感をまねくこととなり、天智天皇の亡くなった翌年(672年)の壬申の乱(じんしんのらん)で近江朝廷が敗北する一要因となります。

壬申の乱とは、天智天皇の異母弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)と、息子の大友皇子(おおとものおうじ)との間におこった王位継承争いを発端としています。吉野に逃れた大海人皇子は東国で数万の兵を集め、飛鳥を平定し大津宮に進軍します。
大友皇子は西国で兵を集めますが、白村江(はくすきのえ)の戦いで疲弊し大津宮に反感を持っていた西国豪族の協力を得られず大津宮は陥落し、大友皇子は自害します。大海人皇子は飛鳥浄御原宮(あすかきよはらのみや)で即位し、天武(てんむ)天皇となります。

なお、「天皇」という君主の称号が使われはじめたのはこの天武天皇のときからとする説もあります。それまでは大王(おおきみ)と称していたとする説です。

※白村江(はくすきのえ、はくそんこう)の戦い
朝鮮半島では665年、高句麗(こうくり)と百済(くだら)が連合して、新羅(しらぎ)に侵攻します。新羅は唐(とう:中国)に救援を求め、唐は百済を攻め、その結果、百済は滅亡します。
朝鮮半島での倭国(わこく:日本)の優位性を高めようと倭国は百済遺民と連合し、唐・新羅連合軍と戦いますが、倭国・百済連合軍は663年白村江の戦いに於いて大敗します。

話を戻します。「時の記念日」は1920年に東京天文台と生活改善同盟会によって制定されました。当時の日本国民に「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と呼びかけ、時間の大切さを尊重する意識を広めるために設けられたのでした。

「時は金なり」など、時間にまつわるお話はたくさんありますね。

僕たちも段取りをつけ、目標を達成するためにすべきことは迅速にやっておく、それが必要になったときにすぐ出せる様な姿勢・体制をとっておくべきですね。
まだ大丈夫だと油断している間に大変なことになるというか、大変なことになってるんです!

いつの時代でも時間には限りがありますから、時間を有効に活用したいものです。

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