憲法の発布と議会の開設 教科書対応ページP.168、169
○内閣制度の確立
政府は伊藤博文らをヨーロッパに派遣し、憲法や議会政治について調査しました。
伊藤らは君主権の強いドイツなどを中心に研究をすすめました。理由は天皇中心の政治にしたい政府にとって都合がよかったからです。
帰国した伊藤らは、1885年に近代的な内閣制度をつくり、伊藤博文が初代内閣総理大臣となりました。
○大日本帝国憲法の発布
1889年2月11日、大日本帝国憲法が発布されました。天皇主権(天皇の権限の強い)の憲法でした。
帝国議会と呼ばれる二院制(衆議院と貴族院)の議会もつくられました。国民の権利は、法律の範囲内で認められました。
日本はアジアで最初の近代的な立憲国家となりました。
1890年には教育勅語を発布し、学校教育の方針が決まりました。
○民法と家の制度
民法によって一夫一婦制が定められ、女性の地位が安定しました。
しかし「家」を中心とする制度では、家長(お父さんや長男)の権限が強く、男女平等ではありませんでした。
○帝国議会の開設
1890年、衆議院議員の総選挙が行われ、第1回帝国議会が開かれました。
選挙権があったのは、直接国税15円以上(現在のお金にすると約1000万円)納めた満25歳以上の男子のみで、全人口の約1.1パーセントしかいませんでした。
選挙は政党が圧勝し、政府と政党が協力して政策を進めるようになりました。
3年5組担任 社会科 剣道部顧問 美本大輔