ふれあい広場に参加しました(わかば級)大勢の方に、お店に来て頂けて、たくさんのふれあいができました。 みなさん、わかばのお店に来て下さって、ありがとうございました。 また、当日までの準備も多くのボランティアさんに協力して頂きました。 今回も多くの方々に支えて頂いて素敵な活動ができました。 5年 音楽朝会で歌を披露しました
11月10日(火)の音楽朝会で、小田原市音楽会で歌う「Let`s Search For Tomorrow」を全校に披露しました。体育館に素敵な歌声を響かせていました。その後、「もみじ」を全校で歌いました。最後にサプライズで6年生が中心となり、5年生にエールをおくってくれました。
校長室だよりところで、大会会場である城山競技場は本校から近い距離にあるため、子どもたちは徒歩で行き来しますが、その途中に空堀を見ることができます。 この空堀は、「小峯御鐘ノ台大堀切(こみねおかねのだいおおほりきり)」といい、安土桃山時代に北条氏が豊臣秀吉との戦に備え、小田原城とその城下を土塁と空堀で囲んで築いた「総構(そうがまえ)」の一部だそうです。私も何度か歩いたことがあるのですが、堀は深くて幅が広く、急斜面になっていて、小田原城が難攻不落といわれたわけが分かります。また、このような大がかりな堀を約9Kmに渡って築いた北条氏の勢力の大きさもうかがえます。 この総構の西の境が本校の学区になっていて、400年以上前の昔には豊臣方の武将たちが布陣していたと思われます。当時の大窪人たちは10万を超える軍勢に驚くとともに、これから自分たちの暮らしがどうなるのか不安な気持ちで戦の決着を見守っていたことでしょう。 本校の6年生の社会科で小田原合戦を扱う授業を参観した後、私も参陣した武将を調べ、その領地を現在の地図に照らし合わせてみました。地図が豊臣側に塗りつぶされていくにつれて、北条氏がいかに巨大な敵と対峙していたのか改めて思い知らされました。絶望的な戦いに臨む人々の心境が伝わってくるようでした。 北条氏の滅亡に関しては、情報収集力や状況分析力、判断力等の甘さを指摘する意見を耳にしますが、経済力や動員力、情報力など秀吉の想像を絶する総合力に呑み込まれてしまうことは歴史の必然だったように思います。小田原に暮らす者として少し悔しい気持ちはしますが、当時の小田原人が残した教訓を大切にしていきたいとも考えます。 それにしても、今と歴史が往来する小田原はとても魅力的な町です。 11月10日(火)の給食ぎゅうにゅう むぎごはん かますのしょうゆぼし おでんふうにもの 5年 いのちの授業を行いました
11月5日(木)の1,2校時、「いのちの大切さを伝える助産師の会」の助産師さんをゲストティーチャーにむかえ、「いのちの授業」を行いました。いのちのはじまりや、誕生について学習しました。具体物や人形、劇、紙芝居などを交え、楽しくいのちの大切さについて学ぶことができました。
5年 居住地交流を行いました
11月5日(木)の3校時、本年度最後となる第3回居住地交流を行いました。今回は、交流している小田原養護学校に通う児童の保護者の方にお話を伺いました。「しょうがい」について、「いのちの大切さ」について深く理解した子どもたちでした。
11月6日(金)の給食ぎゅうにゅう ハムカツサンド じゃこときゃべつのパスタ 11月5日(木)の給食ぎゅうにゅう あきのかおりごはん さつまじる 11月4日(水)の給食ぎゅうにゅう ごもくあんうどん ちくわのいそべあげ 11月2日(月)の給食ぎゅうにゅう むぎごはん さばのぴりからごまやき ちくぜんに |
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