【校長のつぶやき】ある意味、正直?(令和4年12月2日・金)

 今日、担任が休んだ6年生のあるクラスで、道徳の授業をしました。価値は「正直、誠実」。あらすじは、「学級文集に載せる詩がなかなか思いつかず、和枝は他の作品の出だし二行と題名を盗用してしまう。悩んだ和枝は先生に打ち明け、出来上がっていた文集に一枚一枚新しい詩を貼りつけた。」という内容です。
 詩が書けないでいるときの和枝の気持ち、級友から「いい詩ね。」と言われたときの和枝の思いを考えた後、もし自分が和枝の立場だったら本当のことを言えるか、言えないか話し合いました。
 まずは、ネームプレートを黒板上に貼ってもらい、立場を確認。「言う」は5人、「言わない」は20人でした。理由を聞いていくと、「見つかったときのみんなの反応が怖いから、自分から言う。」「罪悪感があるから言う。」「ずっとモヤモヤして、心に残り続けるから言う。」に対して、「言ったら、他の人にどんなふうに思われるか分からないから言わない。」「今までの詩(和枝は、これまでも級友から詩が上手だと思われています。)も、ぱくったと思われるから言わない。」「言わなければばれない。ばれても、知らないふりをして『少し似ているね』くらいで済ますことができるから、言わない。」「ずっと言わなければ、どうでもよくなって忘れてしまうだろうから、言わない。」などの意見が出されました。
 本音で、次から次へと意見を言える子供たちに感心しました。道徳的な価値からすると、正直に「言う」方がいい意見のように思えると分かっている子供たちは、「校長先生、まさか、このことホームページに載せますか?」と心配そうに尋ねてきます。「どうしようかなぁ。」と返すと、「え〜、このクラスの評判が…」。「そんなことを気にしているんだ。」と思いながら、一応、黒板に書いた意見を写真に撮っていると、「校長先生!写真に撮っているし!」「校長先生、名前(黒板に貼られたネームプレート)も載ってしまいますか?」「名前は、ちゃんと隠しますよ。ホームページに載せるかどうか、考えておくね。」
 この後、ワークシートに、先生に打ち明けた和枝の気持ちと自分を重ねて思うことを書いてもらいました。
「言わないと自分にも嫌な気持ちが残るだろうし、みんなにいろいろと言われるのも自分の心に残るので、言うのが正解、正しい心だと思う。」
「和枝さんの気持ちもわかるっていえばわかるけど、言ったときにみんながどう思うかとか、これからみんなにどう接すればいいのかわからないので、自分は言わない。だから、和枝さんはすごい勇気があっていいなと思う。」
「言うときは怖くていいにくいし、怒られるかもしれないし…。」
「和枝はずっとモヤモヤすることになるから言えてよかっただろうけど、自分はばれていなければ平気だと思うから絶対に言わない。」
「打ち明けたらスッキリするだろう。私は、自分が悪いとは思うけど怒られるかもしれないから言わない。後悔するとは思うけど言えない。」など…、一人一人、自分の正直な思いが書かれていました。

 「言わない」を選択したからって、皆さんのこと、「しょうもない子たちだな。」なんて思いませんよ。そんなに簡単に「言える」わけではないということはよく分かります。いろいろなことを考えれば考えるほど、言えなくなってしまうという子もいるのだと思います。いわゆる道徳的な正解と言えるような答えになびくのではなく、「本当はこうした方がいいのだろうけど、できない自分」を認めるような答え・考えも言える皆さん。ある意味、自分の思いに正直だと言えるのではないでしょうか。

 本音を言える道徳の授業ができる皆さんのこと、むしろ素敵だと思います。一緒に授業ができて楽しかったです。
画像1 画像1
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
学校行事
12/9 クラブ活動(1時間)

お知らせ

学校だより

保健だより

給食だより(食育だより)

下校時刻予定表

PTAだより

HP掲載資料

国府津小学校グランドデザイン

学校ボランティアだより