校長室だより1年生の教室では今ヒヤシンスがきれいな花を咲かせています。部屋に入る度に、その淡いながらもよい香りに心が和みます。子どもたちが水栽培で育ててきたものですが、毎日水替えをするなど大切に見守ってきたのだなと思うと自然と顔がほころんできます。 ところで、私の通勤路に和菓子屋さんが何軒かあるのですが、どの店にも「うぐいす餅」の幟が立てられているのに気付き、門外漢である私ですが、どんな和菓子なのか気になっていました。 先日出かけたついでにと思い、我が家が時々お邪魔する店に立ち寄ってみました。店の人にケースから出してもらった和菓子は、中に餡を包んだ楕円形をしたもので、うぐいす色の粉がまぶしてありました。「うちは今日でうぐいす餅は終わりですよ」と言われたので、さっそく家族分を買い求めました。 家に帰って、程よい甘さの餡に舌鼓を打ちながら熱いお茶を少しずつ飲んでいると、家族がそろって早春の味を楽しむことができるプチ幸福感にほのぼのとした思いになりました。 調べてみると、この和菓子は大和郡山城(奈良県)の城主であった豊臣秀長が兄の秀吉を招いた茶会で供したものだそうで、秀吉が大層気に入って「鶯餅」と名付けたそうです。太閤秀吉も愛でた和菓子を自分も食べたのかと思うと、歴史ファンである私は大満足です。和菓子は季節を食するものだけでなく、歴史のロマンも味わえるものだなと感心しました。 さて、来週は早くも雛祭りです。桜餅を目にする季節となります。徳川吉宗ゆかりの長命寺餅(関東風)にするか、秀吉と縁のある道明寺餅(関西風)にするか悩むところです。 校長室だより1年生の教室にはたくさんの鬼の顔が貼ってあります。 節分である先週の3日には、子どもたちがこの鬼のお面をつけて互いにそっと豆まきを行いました。 だいぶ前のことになりますが、私もお面を付けて鬼の役をやったことがあります。大豆とはいえ、子どもたちが近くから手加減しないで投げつけてくるので、手や首に当たると結構痛かったことを覚えています。これでは鬼も退散するなと納得もしました。 最近ではCMに登場する「鬼クン」の人気が高いようですが、私にとっては鬼といえば、母に読んでもらった「桃太郎」や「一寸法師」などの絵本に出てくる怖い姿を想像します。小学生になって「泣いた赤鬼」などの話を読んだことで恐ろしいイメージが幾分和らいだものの、あの異様な形相を消去できるまでには至っていません。 もっとも私も宿題を二つ三つ出したりした時には、子どもたちから「オニ!」と呼ばれたこともありましたが…。 ところで、「豆撒き」は古来季節の変わり目である節分の日には「邪気(鬼)」が生じると考えられ、それを追い払うために行われてきた行事だそうです。 角や牙、鋭い爪という姿で描かれる「鬼(おに)」ですが、かくれて人には見えないものを意味する「隠(おん・おぬ)」が転じたものとされ、もともとは人に害を与えようとする心(悪意)や病気などを起こす悪い気(悪気)を意味するものだったそうです。 そう思うと、以前『陰陽師』という映画で見た、恨みから人が生きたまま鬼と化す「生成り」の姿を思い出してしまいます。 人の心の中に鬼が住みついてしまうことは恐ろしいことです。 本校の子どもたちには、彼らのよさである「優しさ」「素直さ」「真面目さ」を、これからも鬼に食べられないでいてほしいと心から願いました。 ちなみに、鬼の出入り口であるとされる「鬼門(きもん)」が北東の方角にあたる干支の「丑(うし)」と「寅(とら)」であることから、丑(牛)の角と寅(虎)のパンツの姿で描かれることが多いそうです。よくここまで考えるものだなと感心してしまいました。 |
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