校長室だよりさて、2月3日は冬と春の季節の分かれ目である節分でした。本校でも子どもたちの無病息災を願い、給食で「福豆」を食べました。(写真右) 我が家でも福豆を食べましたが、さすがに年の数の豆を食べるには胃腸に負担がかかりますので、1粒を10歳分に見立てて食べました。他にも「恵方巻き」といわれる太巻き寿司や「節分そば」も食べました。私が子どもの頃の節分では、食卓に巻き寿司やそばが載ることはなかったのですが、チラシやCMで目にすることもあり、いつの間にか食べるようになりました。 考えてみると、年末の年越しそばに始まり、正月のおせちや三日とろろ、七草がゆ、鏡開きの汁粉など、私たちは「節目」に特定の食べ物を食べることが多いようです。 私たちは、「食べる」ことを通して健康でいられることを願い、平穏に過ごせることを願っているのかなと思います。 ところで、毎日特に考えることもなく当たり前のように食べていましたが、先日行われた市の学校給食会の講演でいただいた塩分チェック表をつけてみると、塩分の取り過ぎであることがわかりました。家族からの注意を受け入れ、麺類のスープは少しだけ飲む、醤油やソースは少なめにするなど実践することにしました。 食べる上で「願う」だけでなく「考える」ことも大切にしていかなくてはいけないと自省するとともに、学校でも給食を中心に家庭科や生活科、総合などで「食」についての学習をこれからも大切にしていかなくてはいけないと改めて考えさせられました。 校長室だより来週の3日は節分、4日は立春です。新しい年になり、がんばろうと気持ちを新たにしたと思っていたら、もう月が替わります。早いものです。 節分とは2月の立春の前日の日のことだと私は長い間思っていましたが、実は節分は1年に4日あるのだそうです。各季節の始まりの日である立春・立夏・立秋・立冬の「四立(しりゅう)」の前日のことだそうです。同様に、立秋の前の夏の暑い日に鰻を食べる日と思い込んでいた「土用」も1年に4回あり、四立の直前約18日間のことだそうです。したがって、土用の最後の日が節分です。毎日見ているカレンダーで確認すると、四立の他に節分と土用の入りの日が4日ずつしっかりと記載されていました。人は見ているようで、見ていない(気づかない)ことが多いようです。 さて、寒いとつい背中を丸め下を向いて歩いてしまいがちですが、先日何気なく目線を上げると、屋内運動場の出入り口近くの梅の木に小さな花が咲き始めているのに気づきました。すでに木全体に花をつけている早咲きのものを学校の近くでも見かけます。 梅はバラ科サクラ属に分類される植物で、「好文木」とか「春告草」の別称もあるそうです。「梅と桜のあだ(婀娜)くらべ」の言葉があるようですが、花としては梅よりも桜を好む人が多いのではないでしょうか。もっとも平安時代の前まではむしろ梅の花が好まれる傾向があったそうです。暖かい日差しに覆われて華やかで零れるかのように咲く桜の花は、確かに見ていると心が躍ります。一方、厳寒の中を静かに凜とした佇まいで咲く梅の花は、そこに在る美しさとでもいうのか、見ていると胸がジーンとしてきます。まさに甲乙つけがたい美しさです。 それぞれの美しさを感じ取れる柔らかな心を持ち続けたいとしみじみ思いながら花を見ていましたが、さすがに寒くなってきたので校長室に入り、熱いお茶を飲みました。「梅に鶯」ならぬ「梅に茶」もいいものだなと思いました。 校長室だより先週、数本に細く分かれた先に団子を一つずつ通した木の枝を片方の手に持ち、小さなお子さんの手を引きながら歩いていられる方を見かけました。「どんど(ん)焼き」に行かれたのでしょうか。 今も続いているかわかりませんが、私の子どもたちが小学生だった頃、「どんど(ん)焼き」の日には、公民館や道祖神のある所など地域のいくつかの場所に子どもたちを「お迎え」する場所が設けられ、係の人が訪れる子どもたちに甘酒やお汁粉、豚汁などを振る舞ったり、お菓子をあげたりしていました。また、近所の人たちが持ち寄った正月飾りなどを燃やし、その火を使って枝につけた団子を焼いて食べました。正月に書いた書き初めも、その火にくべました。 書き初めといえば、本校では1月12・13日に席書会を行い、14日から29日まで書き初め展を行っています。子どもたちの書き初めがずらっと掲示されている様は新年らしく、気持ちが引き締まります。 ところで、私も小学生だった頃、冬休みには書き初めの練習を宿題として出され、親戚への新年の挨拶回りを楽しんだ後の1月5日頃にやらされました。飽きやすい性質の上、もともと習字に興味が薄かったため、ささっと短い時間で書いて、後はボードゲームなどで遊ぼうと思っているのに、1枚書く度に親からあれこれ注意を受けるので、苦痛の時間が続きます。何枚か書いたものの中で何とか1枚を選び、柱に留めてやっと解放されました。 でも、どんなに悪戦苦闘しても書き初めが貼ってある部屋へ入ると、墨の臭いと張り詰めたような空気で、自然と背筋が伸びるような気持ちになりました。不思議なものです。 先日、「洗心照水」という言葉を教えていただきました。「清らかな澄んだ水に照らして、心を清らかにする」という意味だそうです。 子どもたちの真剣な気持ちがこもった書き初めだけに、見ているだけで心が洗われるのでしょう。そう思うと、日々子どもたちのひたむきさや熱意に触れて心を動かすことができることは、とても幸せなことだと思います。教師という仕事の「役得」です。ただ、子どもたちを見る目が決して曇ることがないように、磨く努力を怠ってはいけないと思いました。 校長室だより♪ クリスマス前に やってきた ハロウィンが終わると、街中が鮮やかな赤色に染まっていきます。 本校でも、子どもたちが作ったクリスマスの飾りが目を楽しませてくれるとともに、朝の時間に時々聞こえてくる「あわてんぼうのサンタクロース」という歌が心を弾ませてくれました。 この歌は、歌詞も楽しくメロディも親しみやすいものなので、子どもたちに広く歌われています。私の子どもたちも大好きで、その昔幼稚園で歌ってきたと言って聴かせてくれたり、NHKの子ども番組で歌うのをいっしょに見たりするなど、私にとっても馴染みのある曲です。 ちなみに、作曲者は小林亜星さんだそうです。恥ずかしながら私はつい最近知ったのですが、驚きました。 クリスマスというと、私は子どもの頃読んだ3つの話を思い出します。1つは『マッチ売りの少女』で、少女が自分で売っているマッチを擦ると家族で楽しんだクリスマスの情景が浮かび上がる場面。2つめは『フランダースの犬』で、主人公が愛犬とともに天使たちに迎えられて旅立つ場面。最後は『クリスマスキャロル』で、3人の「幽霊」が主人公の過去・現在・未来を見せる場面です。クリスマスには、家族や親しい人たちと温かく和やかな一時を過ごしたいと子どもながらに願っていたからでしょうか。 ところで、30年近く我が家のイブの食卓に並ぶものとして、子ども用シャンパンという炭酸飲料がありました。それが、とうとう今年は大人用になりました。子どもたちの要望に合わせていくうちに、いつ頃からか、サンタクロースやチョコレート板などがかわいらしく載ったデコレーションケーキが実利重視のものに、チキンも揚げ物から焼き物へと替わりました。 子どもの成長は「理解」していても、物や出来事でふと「実感」するものだなと、うれしいながらもしみじみとしたイブとなりました。 今年も残すところ1週間を切りました。皆様にはよいお年をお迎えください。 校長室だよりいよいよ今年も最後の月だなと思いながら12月分にしたのも束の間、もう三分の一が終わってしまいました。師僧も走る多忙な月の名の如く、「時」が慌ただしく過ぎ去っていきます。 今週の7日は大雪(たいせつ)でした。いよいよ冬本番です。少し前まで赤や黄色などの鮮やかさで私たちを楽しませてくれた木の葉も、今は順番を待っているかのように、静かに舞い降りています。緑に恵まれた本校では周りを大量の落ち葉が囲み、校務用員さんが片付けに苦労するほどです。でも、地面に積もった落ち葉が風に流され、カサカサと寂しげな音を立てる様子には、しみじみとした趣があり、初冬らしさを感じます。 さて、先週の土曜日に我が家では排水溝の掃除をしました。といっても、大掃除を始めたわけではありません。9月にも排水溝を掃除しました。 私は子どもの頃、冬休みになると、障子の張り替えや天井のすす払い、掛け軸や額の掃除、窓ふきなどの大掃除をする父の手伝いをさせられました。当時の冬休みは、連日アニメなど見たい番組が放映されていたので、心の中で文句をぶつぶつ言いながら手を動かしていました。そういうわけで、私は大掃除が大嫌いでした。 家庭人となってからもその思いは消えず、汚れの程度に応じて定期的に掃除をするようにしてきました。もっとも最近は、長い時間集中して掃除すると次の日に体を動かすことが大変になってしまうこともあるのですが…。 不思議なことなのですが、掃除は父に教えられた手順通りにさっさと体が動きます。自分なりのやり方を考えてもいいのにと思うのですが、おもしろいものです。そして、何よりもおかしいことは、「これは明日やればいいや」と万事面倒臭く思う私が、家の掃除だけは「No!」と拒否しないことです。別に掃除好きでもないのに、自分でもよくわかりません。 ところで、今度の週末は換気扇の掃除をすることになりました。暖かい日になってほしいと思います。 校長室だより子どもの頃、我が家の食卓にも時々蒲鉾が載りました。もちろん醤油につけて食べることが多いのですが、天ぷらにするほか、蒲鉾を薄く切って梅肉と和えたり、厚く切った蒲鉾の真ん中に切れ目を入れて酢飯を挟んだりして食べました。でも、私は蒲鉾の上にマヨネーズをたっぷりかけて食べるのが一番好きでした。今ではドクターストップがかかってしまいますが・・・。 この「蒲鉾」という文字を古文書の中で最初に見つけることができるのが平安時代の1115年であることから、11月15日を「かまぼこの日」としたそうです。今年で誕生900年ということになります。 小田原蒲鉾の歴史はさすがにそこまでの歴史はないようですが、最初に店ができたのは江戸時代の徳川家治の治世下、時代劇でもお馴染みの田沼意次が活躍した頃だそうです。ひょっとすると田沼老中も蒲鉾を食べていたのかもしれないと思うと、自然に笑みが出てしまいます。 本校では3年生が社会科で蒲鉾の学習をします。今年も、職人の方に来ていただいて蒲鉾作りを体験したり、お店を見学させていただいたりするなど、子どもたちは意欲的に学ぶことができました。 学習したことで関心を高めたからか、3年生の夏休みの自由研究で、いくつかの店の蒲鉾の味やにおい、弾力感などについて調べた結果を表にまとめた作品がありました。おもしろい取り組みだなとその時に思ったことを「かまぼこの日献立」で思い出し、職員室でもやってみることにしました。(写真右)見た目に違いがあるだけでなく、形や味、弾力感など、店ごとに微妙な違いのあることが実感としてよくわかりました。そして、この違いこそがそれぞれの店の「こだわり」であり、おいしい蒲鉾を作ろうとする追究の姿勢から生まれるものだなと感心しました。同時に、「もの」作りの伝統のすばらしさを感じるとともに、伝統の味を次へ伝えていくことの大切さを改めて考えさせられました。 ところで、今の私のお気に入りの食べ方は、やはり「板わさ」です。これからも蒲鉾の旨さをしっかりかみ締めていきたいと思います。 校長室だよりところで、大会会場である城山競技場は本校から近い距離にあるため、子どもたちは徒歩で行き来しますが、その途中に空堀を見ることができます。 この空堀は、「小峯御鐘ノ台大堀切(こみねおかねのだいおおほりきり)」といい、安土桃山時代に北条氏が豊臣秀吉との戦に備え、小田原城とその城下を土塁と空堀で囲んで築いた「総構(そうがまえ)」の一部だそうです。私も何度か歩いたことがあるのですが、堀は深くて幅が広く、急斜面になっていて、小田原城が難攻不落といわれたわけが分かります。また、このような大がかりな堀を約9Kmに渡って築いた北条氏の勢力の大きさもうかがえます。 この総構の西の境が本校の学区になっていて、400年以上前の昔には豊臣方の武将たちが布陣していたと思われます。当時の大窪人たちは10万を超える軍勢に驚くとともに、これから自分たちの暮らしがどうなるのか不安な気持ちで戦の決着を見守っていたことでしょう。 本校の6年生の社会科で小田原合戦を扱う授業を参観した後、私も参陣した武将を調べ、その領地を現在の地図に照らし合わせてみました。地図が豊臣側に塗りつぶされていくにつれて、北条氏がいかに巨大な敵と対峙していたのか改めて思い知らされました。絶望的な戦いに臨む人々の心境が伝わってくるようでした。 北条氏の滅亡に関しては、情報収集力や状況分析力、判断力等の甘さを指摘する意見を耳にしますが、経済力や動員力、情報力など秀吉の想像を絶する総合力に呑み込まれてしまうことは歴史の必然だったように思います。小田原に暮らす者として少し悔しい気持ちはしますが、当時の小田原人が残した教訓を大切にしていきたいとも考えます。 それにしても、今と歴史が往来する小田原はとても魅力的な町です。 校長室だより私は、この丸くなったテーブルを見ると「卓袱台」を思い出し、ちょっとノスタルジックな気分になります。私が小学生の頃まで我が家の居間にも卓袱台があり、家族で食事をしたり、お茶を飲みながらテレビを見たりしていました。学校から帰ってくると宿題をやらされる場所でもありました。 さて、この卓袱台がよく似合う家族といえば、やはり「サザエさん」の磯野家ではないでしょうか。テレビで放送される番組を私自身も小学生の頃に見ていましたし、子どもが生まれるといっしょに見ていました。40年以上も放送されているそうで驚きます。 先月の新聞にサザエさんのお母さん役の声優さんが交代するという記事が載っていたことを思い出し、先日久しぶりにチャンネルを合わせてみました。画面には懐かしい顔が登場し、懐かしい音楽が流れていました。記憶にある声と少し違う感じを受ける時もありましたが、磯野家の雰囲気を壊すような違和感を覚えることもなく、温かく微笑ましい時間を楽しむことができました。見終わった後、声優さんたちが一人ずつ順番に交代してきたことを、私の子どもから教えてもらいました。また、今も子どもたちに人気のあるアニメ番組の声優さんたちが一斉に交代した時のことも話題になり、登場する人物は同じでも全く違う作品を見ているような不思議な印象を感じたことを思い出しました。 ものごとは時とともにいろいろ変わっていくものです。また、嫌でも変わらなければいけない時もあると思います。ただ、変わり方には以前のものを引き継ぎながら漸次変えていくやり方と、全く新しいものに変えていくやり方があるのだなと、テレビの前でしみじみと考えてしまいました。 校長室だより本校の校歌の3番はこの歌詞で始まります。秋の深まりとともに、学校周辺のみかんの色も鮮やかになってきました。 私たちがふだん目にするみかんは主に温州みかんだそうです。漢字では甘い柑橘ということから「蜜柑」と表記され、「みっかん」と読まれていたものが、「っ」が省略されるようになったそうです。原産地は鹿児島県だそうです。 私が以前本校に勤務していた30年程前はみかんの栽培が盛んな頃で、校歌にあるようにたくさんのみかんの木が植えられていました。学校の校地内にもみかんの木が何本かあり、除草や消毒などの作業を地域の方に助けていただきながら、6年生が育てていました。 冬の足音が近づいてくると、6年生がはさみを使ってみかんを一つ一つ採ります。収穫したみかんは数回に分けて、給食の時に全校で食べました。小ぶりで青みがかった色をしたみかんで、皮が厚く、むくのに少し力がいりました。少し酸味が強く、酸っぱいものが苦手な私は、みかんを両手で揉みながら「甘くなれ 甘くなれ」とおまじないをかけて食べるので、クラスの子どもたちから笑われました。 私の“ the good old days ”の一コマです。 ところで、わが家では10月になると、食卓の上にみかんの入った籠が置かれます。食後に、テレビを見ているときに、ちょっと喉が渇いたときに、というように手を伸ばしてしまうので、休みの日には何個も食べてしまいます。先週は熊本県産のみかんでした。今週は長崎県産のみかんです。和歌山県、愛媛県、静岡県、小田原など、冬が終わるまで「みかんによる日本の旅」が続きます。 校長室だよりさて、コスモスからは華やかなイメージは感じませんが、「秋桜」という和名にもあるように整った花の形をしていて、清楚な美しさを感じます。また、見ているとホッとする気持ちになりますが、それは厳しい夏の暑さが終わって涼しい秋に向かうことと関係があるのかもしれません。 私はこのコスモスを見るたびに思い出す物語があります。4年の国語の教科書にも載っていた今西祐行さんの「一つの花」です。4年生の担任経験があまりない私ですが、子どもたちと読むたびに胸が熱くなったことはよく覚えています。わかりやすい文章で書かれていることもあり、戦争の悲惨さが素直に心に伝わってきます。また、残された母娘が寄り添って暮らす傍らにコスモスの花が咲いている最後の場面は、「人は捨てたものではない」「明日には希望がある」と考えさせられ、印象に残ります。コスモスの花を見ると心が落ち着く思いがするのは、そのためかもしれません。 人は花を見ながら思い出も見ているのではないかと思いました。 校長室だより9月1日はまた、台風の襲来が最も多い頃とされる「二百十日」でもありました。台風18号の影響もあり、9日(水)には本校に避難所が設置されるなど心配になる時もありましたが、幸いなことに被害もなく、ほっとしました。 しかし、栃木県や茨城県、宮城県では大規模な災害となり、亡くなられた方もいて、心が痛みます。行方不明となっている方々が一刻も早く見つかることを祈るばかりです。自然の力を改めて思い知らされました。 さて、本校では子どもたちの防災意識を高めることを目的として、9月2日(水)に地震発生に伴う火災発生時を想定した避難訓練を実施する予定でしたが、残念ながら雨天のために延期となってしまいました。 本校では日頃から地震への対応を子どもたち一人ひとりに身につけさせたいと考え、各教室に地震が発生したときの注意事項を掲示しています。(写真左)これは、一昨年に災害時の身の守り方について学校保健委員会で取り組んだ時に作成したものです。 また、本校が災害時の広域避難所となっていることを踏まえて、いざというときに慌てずに行動できるように、学区の避難所の場所も掲示しています。(写真右) 災害は起きてほしくはありませんが、子どもたちには自分の身は自分で守る意識を持ち、適切な行動を取ることができるようになってほしいと思います。 校長室だより例年9月を迎えるこの時期は厳しい残暑に辟易しているところですが、今年は暦どおりにというよりも一気に暑さが退いたおかげで過ごしやすく、暑さが苦手な私にはとても助かります。 8月初旬の連日35度に迫る猛暑が続いた影響からか、本校の樹木が数本枯れてしまいましたが、その暑さも昔のことのように思えます。また、暑さを倍加させるようで騒々しかった蟬の鳴き声も、夏の終わりを惜しむかのようで、けなげに思うとともに寂しささえ感じます。 このように秋の気配が色濃くなってくる中、本校の栗の実も順調に大きくなってきました。夏の暑さに負けずに次の世代を育んできたことを思うと、改めて自然の営みに感心してしまいます。 さて、長かった夏休みも終わり、いよいよ前期の後半が始まります。個人的にはこのまま秋が深まってほしいのですが、子どもたちには15日(火)のプール閉場式まで青空の下で水泳の学習を楽しんでほしいと思います。 校長室だより連日30度を超え、「蟬時雨」も容赦なく降り注ぐ日が続くと、「暑中」の言葉に「猛」や「酷」などの一字を加えたくなってしまいます。 さて、この暑さに負けずに夏の夜を楽しもうと、日本各地で夏祭りや花火大会が行われています。 小田原でも7月25日(土)と26日(日)の2日間、「小田原ちょうちん夏まつり」が小田原城址公園で行われました。 私は25日に見に行きました。その日は雨の降る心配はなかったものの、風もなく昼の蒸し暑さがそっくり残っていて、立っているだけで汗が流れ出るほどでした。むせかえるような暑さを物ともせず、城址公園周辺はたくさんの人たちで賑わっていました。人々の活力に圧倒される思いでした。 本校の6年生が作ったちょうちんは、お堀端に飾られていました。昼間に見ると子どもたちの描いた一つ一つのちょうちんの絵がよくわかり、思わず微笑んでしまいました。夜になりちょうちんの明かりがともると、その華やかさは見とれるほどでした。「まなび橋」のすぐ横に飾られているということもあり、欄干にちょうちんを吊した橋と子どもたちのちょうちんとを背景にして写真を撮る人たちもいました。 また、当日は同じ公園内で「灯想夜〜感謝の想い〜」も行われました。本校の3年生が感謝の気持ちや絵をかいたキャンドルフォルダーが銅門(あかがねもん)広場に並べられ、キャンドルに明かりがともされるとその幻想的な美しさに見入ってしまいました。 納涼とはいかないまでも、子どもたちが作ったちょうちんとキャンドルフォルダーに爽やかさを覚えた一時でした。 校長室だよりさて、夏休みに入ると同時に梅雨明けとなり、暑い日が続きます。熱中症関連のニュースが毎日伝えられるたびに、暑さに弱い私は憂鬱になります。早く涼しくなってほしいと願うばかりです。 とにかく熱中症には気をつけなければと思い、我が家でも水分補給を心がけています。ただ、いつも麦茶というわけにはいかず、ペットボトルや缶がたくさんたまってしまいます。 ペットボトルといえば、本校では以前からキャップを集めて世界の子どもたちにワクチンを送ろうというエコキャップ推進協会の活動に、環境委員会の子どもたちを中心に取り組んできました。しかし、4月の新聞報道を受け、状況を見極めるために活動をしばらく休んでいました。 世界で困っている人たちを助けようという本校の子どもたちの思いのつまった活動を何とか続けることができないかと考えていたところ、エコキャップ推進協会の活動に協力していた事業者から、「推進協会を経由せずキログラム当たり同額を直接『世界のこどもにワクチンを日本委員会』へ寄付を行う」という申し出をいただき、協力をお願いすることにしました。 早速6月から環境委員会の子どもたちが、キャップの回収活動再開への協力を全校に呼びかけました。 子どもたちの優しさを無駄にすることがなくほっとしました。同時に、大人は子どもたちの信頼を裏切るようなことはしてはいけないと改めて自分に言い聞かせました。 校長室だよりそのため、本校の敷地内にもたくさんの鳥がえさを捕まえるために飛んできます。朝出勤すると、そうした鳥たちのさえずりが心地よく聞こえます。のどかで爽やかな一日の始まりです。 さて、本校を訪れる鳥たちの中にツバメもいます。古くは「ツバクラメ」あるいは「ツバクロ」とも言われていたそうですが、春を迎えて温かくなってくると、毎年巣を作り、ひなを育てるためにやってきます。 今年は2組のツバメのつがいが巣を作りました。 1つは中庭にあります。(左側の写真) 1羽が巣の周りを大きく回りながら空の高い所から次第に降りてきますが、巣の近くに飛んで来てもさらに1・2周回ってから巣の端に止まり、中にいる相手に話しかけるように鳴きます。その声を待っていたかのように、もう1羽が飛び出していきます。卵を抱いているのかもしれません。 もし、巣へ戻る途中で他のツバメや鳥を見かけると、すごい速さで接近して追い払おうとします。そのスピードに乗ってターンをする時のキレのよさは、宮本武蔵と巌流島で立ち会った佐々木小次郎の「燕返し」を連想させます。 もう1つの巣は、1階の放送室横の出入り口近くにあります。(右側の写真) こちらの巣にはすでに2羽のひながいて、せっせと親鳥たちがえさを運んできます。その一生懸命な姿は、オスカー・ワイルドの童話『幸福な王子』の中に出てくるツバメを思い出させます。 けなげなこのツバメたちを見ていると心がほのぼのとしてくるとともに、夫婦愛や親子愛のよさと大切さを改めて噛み締めるような思いになります。 2組のつがいのひなたちが元気に巣立つことを心から願っています。 校長室だより漢字では、さやが空を向いているので「空豆」と書いたり、さやの形が蚕に似ているので「蚕豆」と書いたりするということですが、最近では「天豆」と書かれることも多いそうです。 一般的には塩ゆでをして食べることが多いようですが、私はさやごと焼く食べ方も大好きです。 このソラマメですが、苦手とする子どもたちは意外に多いようです。実は私もソラマメ特有の臭いが苦手で、子どもの頃は皿の脇へ寄せていました。好んで食べるようになったのは、大人になってからです。食べ物の好き嫌いはほとんどなかった私ですが、子どもの頃は大根を煮た料理も苦手で、給食で大苦戦をした覚えがあります。今は大根も大好物で、なぜあれほど嫌がっていたのか不思議に思います。 さて、先日1年生が食育の学習の一環として、給食に使う全校分のソラマメのさやから実を取り出す体験をしました。給食用の食材に触れることにより食物への関心を深め、給食を食べることへの意欲を高めることが活動のねらいです。 子どもたちはソラマメの固いさやに苦労しながらも、楽しそうに実を一つ一つ取り出していました。また、取り出した実やさやをじっくり見ながらスケッチもしました。(上の絵は子どもたちのスケッチの一例です) 給食後、子どもたちからは、「苦手だったけれど食べることができた」「甘くておいしかった」などの感想を聞くことができました。 自分たちが食べる食材に、育てることも含めて「関わる」ことの大切さを改めて考えさせられました。 校長室だより当日は澄んだ青空の下、陽ざしは強いものの爽やかな風も吹くなど、天候に恵まれた運動会でした。 生徒たちはリレーや綱引きなどの種目に一所懸命に取り組んでいて、その姿に清々しさを感じました。また、小学校とはワンランク上のパワーとスピード感に圧倒されることもありました。 また、演技や準備、片付けにと忙しく動き回る生徒たちの中に本校の卒業生たちを見かけると、懐かしく思うとともに、その成長ぶりを頼もしく思いました。 運動会といえば、私が30年ほど前に本校に勤務していた時には、「春の小運動会」と「秋の大運動会」を実施していました。小運動会は5月頃に(だったと記憶していますが)半日日程で行われ、徒競走やリレー、現在のわんぱくグループによる種目に、子どもたちが力一杯取り組みました。大運動会は9月に今と同じような内容で、一日日程で行っていました。古き良き思い出です。 さて、来週の土曜日の6月6日は、いよいよ本校の運動会です。今週から本格的に練習が始まりました。休憩時間になると冷たい飲み物が入った水筒の所へ全力疾走し、のどを鳴らすように飲んでいる子どもたちを見ていると、中学校に負けないような青空に恵まれて、運動会を行いたいと思います。 多くの方のご来場をお待ちしています。 校長室だより先日3年生が社会科の時間に、屋上からまちの様子を見ると聞いたので、 いっしょに参加させてもらいました。 本校は小高い丘の上に建っているので、屋上からの眺めは最高です。 残念ながらこの日は快晴とまではいかなかったのですが、初夏を思わせるような明るい陽ざしと木々の間を渡ってくる爽やかな風に大満足でした。 さて、眼下に見える板橋のまちは、12月の「火伏せ祭り」や1月と8月の「お地蔵さん(縁日)」が昔から人々に知られており、また、通りには蔵が大切に残され、生活用水として小田原用水や荻窪用水が整備されているなど、大変歴史のある地域です。 このまちを学習の場として、3年生たちはこれから自分たちの切り口でたくさんのことを調べていきます。どんな発見をしてくれるのか楽しみです。 板橋地区と隣接するのが早川地区で、ここにある漁港からは、毎日相模湾の豊かな恵みが水揚げされています。本校の5年生が、水産業の学習でお邪魔することもあります。 ところで、目の前に広がる相模湾を見ていると、400年以上も前の「小田原役」のことが思われます。豊臣方の水軍の船がぎっしり泊まっている様子は、石橋山の一夜城とともに当時の人々を驚かせたことでしょう。 私のような歴史好きな者にとっては、本校の学区は興味の深まる地域です。 校長室だより6日(月)の始業式や入学式では、進級や入学に胸を膨らませる子どもたち の姿を目にして、改めて身が引き締まる思いがしました。 一方、7日(火)の離退任式では、本校を去る職員に向けて、「先生のことは 忘れません」「大窪小学校のことを忘れないでください」と話す子どもたちの言 葉に思わず目頭が熱くなりました。 子どもたちの素直な言葉は、大人の心にストレートに響きます。 さて、先週の23日(木)は「子ども読書の日」でした。 「子ども読書の日」は、子どもの健やかな成長のために読書活動を計画的に 進めていくことを目的として、平成13年に施行された「子どもの読書活動の 推進に関する法律」で定められたものです。 この日、テレビのニュース番組では、読んだ本の書名が専用の機械によって、 貯金通帳のような読書用の通帳に記帳される取り組みを行っている学校を紹介 していました。 残念ながら本校にはこのようなおもしろい取り組みのための機械はありませ んが、子どもたちが本との楽しい出会いを数多く経験できるように、今年も学 校司書さんやボランティアの方々のご協力もいただいて取り組んでいきたいと 思っています。 ところで、私が小学生の時に好きだった本は、何といっても「シートン動物 記」シリーズでした。シャーロックホームズが活躍するシリーズもよく読みました。懐かしい思い出です。 |
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