校長室だより1年生の教室にはたくさんの鬼の顔が貼ってあります。 節分である先週の3日には、子どもたちがこの鬼のお面をつけて互いにそっと豆まきを行いました。 だいぶ前のことになりますが、私もお面を付けて鬼の役をやったことがあります。大豆とはいえ、子どもたちが近くから手加減しないで投げつけてくるので、手や首に当たると結構痛かったことを覚えています。これでは鬼も退散するなと納得もしました。 最近ではCMに登場する「鬼クン」の人気が高いようですが、私にとっては鬼といえば、母に読んでもらった「桃太郎」や「一寸法師」などの絵本に出てくる怖い姿を想像します。小学生になって「泣いた赤鬼」などの話を読んだことで恐ろしいイメージが幾分和らいだものの、あの異様な形相を消去できるまでには至っていません。 もっとも私も宿題を二つ三つ出したりした時には、子どもたちから「オニ!」と呼ばれたこともありましたが…。 ところで、「豆撒き」は古来季節の変わり目である節分の日には「邪気(鬼)」が生じると考えられ、それを追い払うために行われてきた行事だそうです。 角や牙、鋭い爪という姿で描かれる「鬼(おに)」ですが、かくれて人には見えないものを意味する「隠(おん・おぬ)」が転じたものとされ、もともとは人に害を与えようとする心(悪意)や病気などを起こす悪い気(悪気)を意味するものだったそうです。 そう思うと、以前『陰陽師』という映画で見た、恨みから人が生きたまま鬼と化す「生成り」の姿を思い出してしまいます。 人の心の中に鬼が住みついてしまうことは恐ろしいことです。 本校の子どもたちには、彼らのよさである「優しさ」「素直さ」「真面目さ」を、これからも鬼に食べられないでいてほしいと心から願いました。 ちなみに、鬼の出入り口であるとされる「鬼門(きもん)」が北東の方角にあたる干支の「丑(うし)」と「寅(とら)」であることから、丑(牛)の角と寅(虎)のパンツの姿で描かれることが多いそうです。よくここまで考えるものだなと感心してしまいました。 |
|