「軍師官兵衛」〜石田三成414回忌
「軍師官兵衛」〜石田三成414回忌
大河ドラマ「軍師官兵衛」を毎週楽しみにみています。 ここ数年、大河ドラマは「天地人 直江 兼続」「お江〜姫たちの戦国〜」や「龍馬伝」など、戦国や幕末期を扱ったものが多いような気がします。 戦国や幕末の動乱は、人々を魅了する人物や事象が多いのでしょうね。 「軍師官兵衛」も佳境に入ってきました。先日は、秀次が謀反の疑いをかけられ切腹し、再度、朝鮮出兵(慶長の役、1597)が始まるあたりを扱っていました。 翌年、秀吉は死去するのですが、今後は秀吉後の家康の台頭と石田三成との対立を中心に官兵衛の動向について扱われるのだと思われます。 やがて家康と三成は関ヶ原で、いわゆる天下分け目の合戦を戦うことになります。 石田治部少輔(じぶしようゆう)三成率いる西軍約8万4千と徳川家康率いる東軍7万5千の兵が激突します。現在、その関ヶ原周辺には戦国時代の武将の陣地を示す石碑が多く残されています。 「軍師官兵衛」で三成は、どちらかというと奸物のように描かれていますが、なかなかの知将であり、ゆかりの史跡を訪れる人も多く、現代人にとっての人気は高いようです。 司馬遼太郎さんの「関ヶ原」では、京都大学解剖学教室の足立博士の調査をも とに三成は「非常な優男(やさおとこ)」であったと書いています。 当時も今位の人気があれば勝敗の行方は変わっていたかもしれません。 なにせ8万4千の軍勢のうち、毛利や長宗我部は傍観者を決め込み最後まで戦いに参戦しませんでしたし、小早川秀秋らは土壇場で東軍に寝返ります。いわゆる反乱軍です。 そもそも秀吉子飼いの黒田長政や福島正則は始めから東軍につきます。 三成との確執もあったのかもしれません。 秀吉と三成の出会いには、「三献茶」、「三碗の才」などと呼ばれるエピソードが あります。 夏に鷹狩りをしていた秀吉は喉が渇き、ある寺に入ったところ、寺で修行してい た三成が三杯の茶を入れた。 最初はぬるめの茶を、二杯目は量を半分にし茶を熱くした。 三杯目は湯の量はわずかでとても熱かったそうです。 三成の配慮に秀吉は感動したのでしょう。 JR長浜駅のロータリーには茶を持った三成と秀吉の銅像があります。 小説やドラマの構成で、歴史上の人物像は大きく異なって描かれます。 「功名が辻」の山内一豊だって、三成から見れば裏切り者です。 わかっているのは史実としての関ヶ原の戦いだけです。 西軍は小早川らの裏切りで総崩れとなり、三成は捕らえられ大坂を引き回され た後、京都六条河原で斬首され、三条河原で晒されます。 三成の生誕地・滋賀県長浜市だけでなく琵琶湖周辺地域では、 三成は郷土の誇りとして顕彰されています。 11月6日(旧暦10月1日)は石田三成414回忌です。 |
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