漱石 没後100年
漱石 没後100年
正月気分もすっかり抜け、慌ただしく毎日を過ごしております。 先日電車の待ち時間を利用して、久しぶりに本屋をのぞいてみました。 夏目漱石没後100年ということで、漱石関連の書籍が平積みにされていました。 その中から数冊手に取り、ぱらぱらとページをめくったのでした。 「山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」 うんうん、その通り、その通り・・・ さらに、『私と個人主義』のページをめくりながら、 「外国の権威にただ盲従するな、疑え」と、警告をしてたな、 などと思い出し、家に帰ったら読み返してみようと思ったのでした。 随分と昔に読んだのですが、改めて、なるほどなあと思う部分がたくさんありました。 「自己の個性の発展を遂げようと思うならば、同時に他人の個性をも尊重しなければならない。自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならない。自己が全力を示そうと願うならば、それに伴う責任を重んじなければならない。」・・・ 昨年も漱石と内田百間(ひゃっけん)との会話を取りあげたのですが、百年前の人物たちが、今の世の中を見通しているとしか思えないような発言をしてます。 内田百間の「ノラや」や「偽吾輩は猫である」も、なかなかおもしろいですよ。 漱石関連では、半藤利一さんの「漱石先生ぞな、もし」もなかなかです。半藤さんの奥さんは、漱石の孫だそうです。 没後100年。今年は少し漱石を読み返し、先人に学び直そうと思います。 余談ですが、本の話になったついでに・・・ 熱海の海岸に「お宮の松」というのがあるのをご存じの方も多いと思います。そう、「金色夜叉」の舞台の一つが熱海です。 貫一とお宮の像もあります。 ♪熱海の海岸散歩する貫一お宮の 二人連れ 共に歩むも 今日限り・・・♪ 若い方はご存じないかもしれませんね? 知ってる方は同世代!(笑) 「宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか! 再来年の今月今夜・・・十年後の今月今夜・・・一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死でも僕は忘れんよ! いいか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が・・・」 内容はさておき、毎年同じ日に、同じ月を見ることができるなんて・・・現在ではあり得ません。なぜでしょう? これは旧暦(太陰暦)の特徴なんですね。 現在の太陽暦では、貫一のこのせりふは通用しません。 「17夜の月」は、満月から少しかけ始めており、少しもの悲しさを感じさせます。 1995年の1月17日は、阪神淡路大震災のメモリアルデイでもあります。 |
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