学校での子どもたちの様子をお伝えします。

土用の丑の日

土用の丑の日

前回、「梅雨寒」を話題にした直後の週末から急に、夏本番を思わせるような日差しと気温の上昇に伴い身体が順応せず、梅雨明け前に夏バテを経験しております。皆様の体調はいかがですか?

夏バテには滋養のあるものをということで・・・「鰻」。
時節柄、土用の丑の日にちなんだお話をしようと思います。

土用の丑の日というと「鰻」といわれるくらい、鰻は日本人の食生活になじみが深いですね。その鰻ですが、生態は詳しくわかっていないようです。フィリピン周辺で産卵し、稚魚(シラスウナギ)が日本の河川に戻ってくるのだそうです。鹿児島や浜松では養鰻業も盛んですが、乱獲のせいかここ数年「シラスウナギ」の捕獲量がめっきり減り、価格の高騰につながっているようです。1キロ(5000匹位)で20〜30万円だったものが10倍の200〜300万円もするそうです。日本鰻は絶滅危惧種にも指定される可能性もあり、ワシントン条約で規制をかけることも検討されてるとか。
シラスウナギ、平塚の馬入川河口でも捕れているようですが・・・稚魚で1匹600円ですから・・・

鰻重が3千円から4千円もするわけですから、清水の舞台から飛び降りたつもりでないと、おいそれとは口にすることはできません。それでも今年は食べられるからよしとしましょうか。いつの日か、お金を出しても食べられなくなるかもしれません。

ここ連日暑い日が続いておりますが、夏の土用の時期は酷暑のための体調を崩しやすく、先人の知恵として食養生(しょくようじょう)の習慣があったことからきているようです(他に、土用餅、土用しじみなど)。

現在の様に「鰻」が有名になったのは、丑の日にちなんで「う」のつくものを食べると良いということで、鰻屋に商売の宣伝を依頼されたエレキテルで有名な平賀源内(享保13年:1728年−安永8年12月18日:1780年1月24日、江戸時代中頃に活躍した本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家。いわば和製レオナルド・ダ・ビンチ)が、看板に書いたことがきっかけとなり定着したとする説があります。(平賀源内についてはいずれまたの機会にお話ししたいと思います。)

その土用の丑の日が、今年の夏は何と2回(7月24日と8月5日)あります。
今回は「鰻」ではなく「土用の丑の日」について、その由来について調べてみましたのでお話ししてみます。「暦」との関連があります。

土用というのは、立春、立夏、立秋、立冬の前18日間をさし、正しくは「土旺(王)用事」といわれたのだそうです。土用の期間は土をいじる様な作業を忌む習慣があり、農家にとっては重要な厄日であったようです。
土用の由来は、天地万物全てを5つの素の組み合わせて説明しようとした五行説にあり、春夏秋冬の四季では、五行説にとっては都合が悪いため、5番目の素を四季それぞれの区切りの部分に割り振ったのだそうです。

五行では、春に木気、夏に火気、秋に金気、冬に水気を割り当て、残った土気は季節の変わり目に割り当てられ、これを「土旺用事」、「土用」と呼びます。
土用の間は、土の気が盛んになるとして、土をうごかしたり穴掘り等の土をいじる作業や殺生がうとまれました。僕の祖母もよく土用だから土いじりをするなといってました。

丑の日の「丑」というのは、「僕は戌年生まれです」というように現在でも使われている干支(えと)の十二支です。
由来は古代中国で考え出されたもので、惑星のうちで、もっとも尊い星と考えられていた木星が、約12年で天球を一周することから、その位置を示すために天球を12の区画に分けてそれぞれに名前を付けたものが十二支の名の由来といわれています。
元々は、木星の運行からでた十二支でしたが、12という数が1年の月の数にあたることから、月を表すことにも用いられるようにもなり、日付や比較的長い期間の年数等を表すために使われるようになったのだそうです。
子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)・・・亥(い)は、順に11月、12月、1月、2月、3月・・・10月を示します。
また、夜の0時を「正子(しょうし)」、昼の12時を「正午(しょうご)」等というように、1日の時刻にも十二支は用いられ、子の刻の初刻(しょこく)は23時で正刻(しょうこく、せいこく)は0時(正子)というように呼んでいました。

さらに十干(じっかん)というのがありまして、「丙午(ひのえうま)の年」というような言い方をします。「午」は十二支ですが、その前の「丙」は十干です。
十干の生まれは古く、古代中国の「殷(いん)」の時代(紀元前17世紀頃−紀元前1046年、ざっと三千数百年前)までさかのぼるといわれています。この時代は、10日を1旬と呼び、この10日ごとに繰り返される日にそれぞれ名前を付けたのが始まりだといわれています。
ちなみに、現代でも「7月上旬」のように上中下旬と月を10日(およそ)に分けてよぶのは、この名残だそうです。
十干は、やがて全てを「木火土金水」の5つの根元的成分から生み出されるとした五行説と結びつき5つを更に「兄(え)・弟(と)」に分けたものと対応させるようになりました。そのため「丙」1文字で「火の兄(ひのえ)」と読むようになったそうです。

十二支と十干とを組み合わせることによって、60の組み合わせが出来ます。これを六十干支(ろくっじっかんし)と呼び、古くからこれを年や日に割り振ることによって、その年や日付を示してきました。60年毎に同じ組み合わせが出現します。そうです、60歳を「還暦」と言うのはここに由来しています。

これらは干支暦をもとに、年と月と日の干支を出して、人の運命を占う算命学・四柱推命といった占星術にも関連していきます。

長々と書きましたが、この夏、土用の丑の日が2回(7月24日と8月5日)あるのは、先人の知恵が脈々と受け継がれ今日に至ったということ。
その結果、今年は立秋前の18日間に、十二支との組み合わせ上「丑の日」が2回巡ってくるということです。

大蔵省、いや財務省さえ許せば2度、鰻を口実をつけていただけるというお話でした。



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