時々暑い日がありますね。熱中症に気をつけながらがんばっています。

笑顔に安心

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先日、1年生の教室を覗きましたら、音読の発表会をしていました。「おむすびころりん」の発表でした。以前、皆で声をそろえて音読している様子を覗いて見る機会があったのですが、その時から、軽く節をつけたり、体を動かしたりしながら、楽しそうに音読していましたので、音読が好きな1年生だなと思っていました。今日の発表でも、動作をつけたり、声色を変えたり強弱をつけたり、それぞれに工夫があって楽しく、担任と一緒に大笑いしてしまいました。
7月からずっと暑い日が続いており、特に坂を登ってくる登校時には、挨拶するのもやっとで、少々機嫌が悪そうな子もいるのですが、それでもこうして笑顔で学習に取り組んでくれているので、ほっと安心する今日この頃です。
しかしながら上の学年になるにつれ、いつも笑顔で、というのもだんだん難しくなるかと思います。今年度の児童会テーマは「笑顔と思いやり」ですが、少しでも子どもたちの笑顔が見られるように、子ども達と一緒に取り組んでいきたいと思います。

Help me!

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3年生の「表とグラフ」の学習を参観しました。図書館で貸し出した本の冊数をまとめた表について考えていました。
まず、月ごとに何冊かりたのか、4月、5月、6月の表をもとにそれぞれの月の合計を出しました。
次に、月ごとの表と、本の種類(物語、図鑑など)ごとの表をあわせた、いわゆる「二次元表」という新しい形の表について考えていきました。(説明が拙く恐縮です)
この二次元表というのがなかなか難しく、3か月の合計で何冊貸し出したのか、答えが2つ出ました。どうしてそういう答えになったのか、同じ答えが出た人が合同で説明しようとしましたが、なかなか説明も難しく、皆がすっきり「わかった!」というところまでいきませんでした。続きは次の算数に持ち越しです。
それでも子どもたちは、途中で自分の説明が詰まってしまうと「Help me!」と友達の助けを求めるなど、何とか考えようとする姿がありました。そして、わからないことや、悩んだことは「わからない」「悩んでいる」と言える姿もありました。そうした「わからない」「悩む」「困った」という思いから学習はより深く確かになります。そうした言葉を素直に言えて、周りもしっかり受け止めて共に解決しようとする学級であってほしいと思います。
この二次元表のように、大人にとっては簡単に思えることも、子ども達には難しいものだということを頭において、私たちは子ども達とともに学習に取り組んでいきたいと思います。

「マーチングバンド箱根21」の皆さんと一緒に

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昨年度から保護者のボランティアの皆様に、金管バンド活動の練習にご協力いただいています。さらに今年度は、片浦小学校の元職員である橘田先生に、金管タイム等の指導を継続的に手伝っていただいています。橘田先生だけでなく、保護者の方のつながりで、ゲストティーチャーをお呼びして、子ども達の技術の向上を図っています。たくさんの方と出会って、アドバイスいただいたり励ましていただいたりすることは、子ども達にとって、とても貴重な機会だと思っています。感謝申し上げます。

そのような中、橘田先生がご指導されている「マーチングバンド箱根21」という箱根町を中心に活動するマーチングバンドが、9月9日(土)に本校の体育館で練習することとなり、本校の子ども達も一緒に練習に参加しないかと声をかけていただきました。
台風の影響も心配されましたが、本校からも3名の児童が参加し、歩き方の練習をしたり音出しの練習をしたりした後、一緒に「千本桜」の練習をしました。橘田先生に本校の金管バンドで練習している曲をお伝えしたところ、「千本桜」と「新時代」の練習を始めてくれたとのことでした。一緒にできる曲があると楽しいですね。初めて会った人とも言葉がなくてもつながることができる。それがまさに音楽のすばらしさだなと思います。今回は3名と少ない人数ではありましたが、参加した片浦小の子にとっては、いわば「武者修行」のようなものになったのではないかと思います。

なお、「マーチングバンド箱根21」は箱根町、小田原市の小学3年生から中学3年生で構成されていて、地域の夏祭りのステージで演奏したり箱根の大名行列に参加したりなど幅広く活動をされているとのことです。

関東大震災から100年

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学校日記でもお伝えしましたが、今年は関東大震災から100年となります。テレビや新聞などの報道でも大きく扱われているので、話題にされているご家庭も多いことかと思います。

9月1日付の神奈川新聞に、当時の行政区域別の死者・行方不明者数が記載されていました。それによりますと、小田原町で280人、足柄村で173人、そして片浦村では406人が亡くなられたり行方不明になったりされたとのことでした。犠牲となった方の人数からもこの片浦地区の被害がいかに大きかったかがわかります。
当時の片浦小学校は、その年の7月に落成したばかりの新校舎が一瞬で崩れ落ち、理科室から出た火によりすべて焼けてしまったとのことでした。(旧校舎は前年に火災で焼失)そして児童93名、教員4名が犠牲になったそうです。
今日の朝会では学校に残っている「地震と戦争の記録(根府川公民館・根府川自治会発行)」の中から、当時根府川駅の近くに住んでらした方の証言を読みました。その時の様子を頭に思い浮かべながら聞いてほしいと伝えてから読みました。

校舎西側の階段そばには、関東大震災で亡くなられた児童や教員等を悼む石碑があります。今朝花を供えようとしたところ、先にどなたかが供えてくださっていました。地域の方でしょうか。
どうか安らかに、そしてこの学校で生活する児童や教職員の命と安全をお守りくださいと祈りました。
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