学校日記(ブログ)

当たり前のことと思っても当たり前ではないということ

公開日
2014/06/03
更新日
2014/06/03

お知らせ

6月3日(火)「当たり前のことと思っても当たり前ではない」ということ
 某テレビ局の某テレビ番組の中で、オーストラリア、インド、アメリカから初めて日本に来た方が、“日本の小学校を訪問してびっくりしたと思うたびに「驚いた」という札をあげる”という内容の朝の番組が昨日あり、たまたまそれを見ました。私たち日本人が当たり前と思っていることに対して、外国から来た人にとっては当たり前ではなくびっくりすることがあり、そのギャップを知らせるおもしろい番組でした。ちょっと前に「へぇ〜」というボタンを押す某テレビ局某テレビ番組を思い出しました。「“当たり前”は当たり前ではない。“常識”は常識でない。」ということを思い知らされましたので、それが今日の私のつぶやきです。
 まずは、小学生が“集団登校”してくる風景を見て「驚いたこと」と書かれた札を上げていました。アメリカでは小学生は保護者が学校に連れてくるか黄色いスクールバスで登校するのが当たり前で、「小学生だけで、しかも歩いて登校するなんて日本は本当に安全な国」とびっくりしていました。『“安全と水はただ”と思っているのは日本人だけ』とは私が30年くらい前に聞いた言葉も思い出しました。
 次は、アメリカから来た人が『みんな“スペシャルバッグ”を持っている』と「驚いて」いました。いわゆる“ランドセル”がアメリカの人には「驚くこと」に該当するんだそうです。以下驚いたこととして札を上げたのは「二宮金次郎像」。「古タイヤの再利用」。「授業が“起立”“気をつけ”“礼”と必ず声をかけてから始まるところ」…これはアメリカでは授業開始のベルが鳴ったとたんにいきなり授業に入る高校の授業風景が映像で流れてそのギャップ度合いを強調していました。さらに、その外国の方のコメントとして「日本では先生と子どもがとてもいい関係であるのがよくわかる。日本人がとても礼儀正しいのはこういうところから培われる」と言っていました。私も同感でした。
 音楽の授業では、皆同じ“リコーダー”を吹いているのが「驚き」なんだそうで、アメリカでは楽器を授業では扱わないんだそうです。しかも日本の子どもたちがとても上手に吹いているのも「驚いて」いました。また、音楽室にベートーベン、ブラームス、ビバルディなど多くの音楽家の顔の肖像画が掲示してあることが「驚き」なんだそうです。
 体育では運動会前だったので“組み体操”に「驚いて」いました。『オーストラリアではチアリーダーはあるが…』というオーストラリアから来た人のコメントが私には驚きで、組体操を見て一番近いものを思い浮かべるのがチアリーダーと思う感覚が、私の「驚き」でした。“組み体操”で下の土台になっていた子どもにインタビューしたら、その子は『成功させて大きな一つの作品を作りたい』『みんなが一つになれる』などというコメントで、それを聞いた外国の方は『サムライ スピリッツ』と「驚いて」いました。
 “給食当番”では白衣を着ることにまず「驚き」、子どもたちが配膳することにも「驚いて」いました。『他人のために配膳するという行為を子どもがすることに驚いているのは、オーストラリアやアメリカでは、配膳は大人がするのが当たり前』だからなんだそうです。
 さらに、“掃除の時間”では、子どもたちが自分の教室を掃除することに「驚いて」いました。今回初めて日本に来た外国の方の3名の母国では、「教室の掃除は清掃業者がするのが当たり前」であり、『もし子どもに教室の掃除などをやらせたら、保護者から大変な苦情が来るだろう』という外国の方のコメントに私が「驚き」ました。これと似た場面を私が思い出したのは、最近の日本でも『うちの子は家で掃除をさせていないので、学校でもうちの子に掃除させないでください』と本気で学校に言いに来る母親がいるんだそうで、そういう自己中心的な親が日本でも多くなりつつあると、“これからの日本は大丈夫か?”と不安に思ってしまうのは私だけではないと思います。そうならないように、義務教育最後の中学校で、子どもへの指導とともに親への指導もしっかりとしていきたいです。そのためにはやはり地域との連携がとても重要です。
 ということで、『みんなで協力し合う教育は、日本文化の大事な部分』という最後のコメントに私も同感し、白鴎中学校の生徒たちにまずは日本人として当たり前なことを身につけさせ、どの国の人ともいい関係を保ちながらコミュニケーションができるようになってほしい、と思った某テレビ局の某番組を見て思いました。