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 例年梅の花からバトンを受け継ぎ、春の足音が近づいてきたことを私たちに知らせてくれる校庭の「蕗の薹(ふきのとう)」が、今年は鶯に急かされて先週ようやくあちらこちらで顔を見せてくれました。だいぶ遅くなったとはいえ、私にとっては春を感じる大切な一コマなので、これで春がまた一歩近づいたなと気持ちが落ち着きました。後は桜ですが、各地で開花宣言は出ているものの、校庭の桜たちはまだちらほらという状況です。今年の春はずいぶんのんびりとやってくるようです。満開が待ち遠しくなります。
 さて、本校では先週の22日(水)が卒業式でした。前日の雨が残らないか心配しましたが、春らしい陽気の中で執り行うことができ、ほっとしました。
 当日はお忙しい中を市長さんにもご臨席いただきました。普段なかなかお目にかかることも、直接お話を伺うこともない子どもたちにとって、よい思い出になったことと思います。
 自画自賛になってしまいますが、卒業生も在校生も練習の成果を十分に発揮し、ぴんと張り詰めた雰囲気の中で、送る者と送られる者の双方の温かさも感じられる式になりました。出席いただいた方々からも、「子どもたちの姿勢がよかった」「大きな声で呼びかけをしたり、歌ったりすることができてよかった」など、お褒めの言葉をいただきました。来賓や保護者など大勢の方々を前にして体中がコチコチになっていた私でしたが、お褒めの言葉を頂戴するたびにほぐれていく思いがしました。
 自分たちが指導した子どもたちを褒めていただくことは何よりもうれしいことであり、教師冥利に尽きます。
 このうれしい気持ちを24日(金)の修了式の時に子どもたちに伝えました。
 来週からもう新年度が始まります。子どもたちのよさや成長の様子を多くの方に伝えられるようにがんばっていきたいと思っています。

 いよいよ28年度も終わりです。1年間本校の教育活動にたくさんの方のご理解並びにご支援をいただきました。心よりお礼申し上げます。

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 先日、地域に住む方から「ミツマタ」の花をいただきました。
 植物に詳しくない私ですので、この花の名前を聞いた時には「ミツマタ?」と怪しいものでも確認するような調子で言ってしまいました。職員から「『コウゾ・ミツマタ』のミツマタですよ」と教えられ、あの植物かと納得しつつもちょっと恥ずかしい思いもしました。
 この花木は枝が必ず三つに分かれるためにこの名前がつけられたそうで、「三椏」「三又」「三枝」と表記されることもあるようです。それぞれの枝の先によい香りのする黄色い花をつけます。小さい花が集まり下を向いて咲く姿は、独特の風情を感じさせます。
花期が3月から4月頃ということもあり、春を告げる花ということから「先草(サキクサ)」と呼ばれることもあるそうです。あるいは縁起のよい草とされていることから「幸草(サキクサ)」とも呼ばれたそうです。早春を彩る花としてどちらもよい名前だと思います。
 さて、春の到来で思い浮かぶのが卒業式です。先週10日の金曜日に、城南中学校の卒業式に出席させていただきました。今年の卒業生は3年前に本校を卒業した子どもたちです。自分が卒業証書を渡した子どもたちの中学校の卒業式に出席するのは初めてでしたので、彼らの3年間の成長ぶりが楽しみでした。
 校長先生から卒業証書をいただく彼らの姿を見ていると、一回りも二回りも体格は大きくなったものの3年前の面影が残っており、懐かしさとともに胸が熱くなりました。同時に心の中で「4月からがんばれ!」と一人一人に呼びかけていました。すっかり「親戚のおじさん」になっていました。
 この日は天候にも恵まれ、厳粛な中にも心温まる雰囲気が会場全体に溢れる、大変すばらしい卒業式となりました。ご指導いただいた中学校の先生方へ感謝の気持ちでいっぱいです。
 学校に戻って校内に飾ってあるミツマタの花を見ていると、この花の花言葉が「肉親の絆」や「壮健」であることを思い出しました。改めて卒業生たちがこれからも元気に過ごし、家族の絆をますます深めていってほしいと願いました。
 来週はいよいよ本校の卒業式です。本校らしく素直で優しい子どもたちのよさが感じられる式になればと思います。

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 朝夕の冷え込みにはまだまだ厳しいものがありますが、窓越しの陽光や肌に触れる風の中に春への移ろいを感じるようになってきました。 
 1年生の教室では今ヒヤシンスがきれいな花を咲かせています。部屋に入る度に、その淡いながらもよい香りに心が和みます。子どもたちが水栽培で育ててきたものですが、毎日水替えをするなど大切に見守ってきたのだなと思うと自然と顔がほころんできます。
 ところで、私の通勤路に和菓子屋さんが何軒かあるのですが、どの店にも「うぐいす餅」の幟が立てられているのに気付き、門外漢である私ですが、どんな和菓子なのか気になっていました。
 先日出かけたついでにと思い、我が家が時々お邪魔する店に立ち寄ってみました。店の人にケースから出してもらった和菓子は、中に餡を包んだ楕円形をしたもので、うぐいす色の粉がまぶしてありました。「うちは今日でうぐいす餅は終わりですよ」と言われたので、さっそく家族分を買い求めました。
 家に帰って、程よい甘さの餡に舌鼓を打ちながら熱いお茶を少しずつ飲んでいると、家族がそろって早春の味を楽しむことができるプチ幸福感にほのぼのとした思いになりました。
 調べてみると、この和菓子は大和郡山城(奈良県)の城主であった豊臣秀長が兄の秀吉を招いた茶会で供したものだそうで、秀吉が大層気に入って「鶯餅」と名付けたそうです。太閤秀吉も愛でた和菓子を自分も食べたのかと思うと、歴史ファンである私は大満足です。和菓子は季節を食するものだけでなく、歴史のロマンも味わえるものだなと感心しました。
 さて、来週は早くも雛祭りです。桜餅を目にする季節となります。徳川吉宗ゆかりの長命寺餅(関東風)にするか、秀吉と縁のある道明寺餅(関西風)にするか悩むところです。

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  鬼は外! 福は内!
 1年生の教室にはたくさんの鬼の顔が貼ってあります。
 節分である先週の3日には、子どもたちがこの鬼のお面をつけて互いにそっと豆まきを行いました。
 だいぶ前のことになりますが、私もお面を付けて鬼の役をやったことがあります。大豆とはいえ、子どもたちが近くから手加減しないで投げつけてくるので、手や首に当たると結構痛かったことを覚えています。これでは鬼も退散するなと納得もしました。
 最近ではCMに登場する「鬼クン」の人気が高いようですが、私にとっては鬼といえば、母に読んでもらった「桃太郎」や「一寸法師」などの絵本に出てくる怖い姿を想像します。小学生になって「泣いた赤鬼」などの話を読んだことで恐ろしいイメージが幾分和らいだものの、あの異様な形相を消去できるまでには至っていません。
 もっとも私も宿題を二つ三つ出したりした時には、子どもたちから「オニ!」と呼ばれたこともありましたが…。
 ところで、「豆撒き」は古来季節の変わり目である節分の日には「邪気(鬼)」が生じると考えられ、それを追い払うために行われてきた行事だそうです。
 角や牙、鋭い爪という姿で描かれる「鬼(おに)」ですが、かくれて人には見えないものを意味する「隠(おん・おぬ)」が転じたものとされ、もともとは人に害を与えようとする心(悪意)や病気などを起こす悪い気(悪気)を意味するものだったそうです。
 そう思うと、以前『陰陽師』という映画で見た、恨みから人が生きたまま鬼と化す「生成り」の姿を思い出してしまいます。
 人の心の中に鬼が住みついてしまうことは恐ろしいことです。
 本校の子どもたちには、彼らのよさである「優しさ」「素直さ」「真面目さ」を、これからも鬼に食べられないでいてほしいと心から願いました。
 ちなみに、鬼の出入り口であるとされる「鬼門(きもん)」が北東の方角にあたる干支の「丑(うし)」と「寅(とら)」であることから、丑(牛)の角と寅(虎)のパンツの姿で描かれることが多いそうです。よくここまで考えるものだなと感心してしまいました。

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 今日(31日)で1月も終わりです。一年の十二分の一が過ぎただけなのですが、学校ではいよいよ年度末を迎え、気忙しさを覚えるようになってきます。
 1月は睦月(むつき)とも言いますが、なぜそう呼ぶようになったのかその由来については考えたこともありませんでした。高校の古文の学習でテストに出るからと言われて、十二支とともに睦月から師走までの月の呼び方を覚えました。「睦」という字があるから他の人たちと仲よくする意味があるのかなと予想しながら調べてみると、
 1 親類や知り合いが行き来して仲睦まじくする月であることから
 2 稲の実を初めて水に浸す「実月(むつき)」から
 3 元になる月である「もとつき」から
などの説があるそうですが、子どもの頃から年始会を楽しみにしてきた私にはやはり1がしっくりきます。
 さて、3年生は社会科の「昔っておもしろい」という学習で、昔の家や道具を調べて人々がどのように暮らしていたのか学習しています。昨日(30日)は市の郷土文化館に行き、学芸員の方から昔の家の造りや道具などについて説明を聞いたり、実際に展示品を見学したりしました。ふだん見慣れない物も多くあり、子どもたちは興味深く見ていました。
 郷土文化館ほどではありませんが、本校にも地域の方から寄贈された昔の農機具や生活道具が保管されています。学習に合わせて3年生のフロアに展示してあるので、懐かしい思いからつい足を止めてしまいます。近くに寄って見ていると、釜で赤飯やもち米を蒸したことを思い出しました。立ちのぼる蒸気の暖かさや蒸し米のおいしそうな香りが蘇ります。また、保温機能がない炊飯器で炊いたご飯を入れたお櫃を食卓の横に置いて食事をしていたことも思い出しました。
 そんなミニタイムスリップにふけっているうちに、私の思い出の品は子どもたちにとっては昔の道具なのだということにはたと気付きました。私も昔の人になってきたのだと思うと、急に年月の流れを感じます。同時に、子どもたちが毎日目にしているスマホやパソコンなども、昔の道具と言われる時が来るのだなとしみじみ思いました。

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 新しい年を迎えたなと長い冬休みをのんびり過ごしているうちに七草も終わってしまい、15日(日)は小正月です。氷の上のようにあっという間に時が滑っていきそうで、気合いを入れ直しました。

 昨日11日(水)は「鏡開き(鏡割り)」でした。
 毎年我が家でも鏡餅を切り分けてお汁粉を食べます。私が子どもの頃は家でついた餅で鏡餅を作っていましたので、この時期になるとあちこちにひびが入るほど見事に固くなってしまい、父が息を切らせながら切り分けていたことを思い出します。もちろん食べるのも顎の運動となります。私は甘い物が好きだったので、苦戦しながらも2杯は必ず食べました。今は1杯食べた後必ず2杯のお茶を飲んで、食道から胃袋までを落ち着かせています。
 本校では昨日が「給食開き」でもありました。さすがにお汁粉は献立にできないので、「力うどん」で1年間の無病息災を願いました。
 ところで、本校では今正門や玄関に植えられたスイセンが花を咲かせ、来校者を迎えています。「雪中花」とも呼ばれるように寒い季節に咲く姿は可愛らしく、清楚で凜とした気品が感じられます。校内にも切り花として飾っていますが、華やかさはないものの、「そこにある美しさ」の趣があります。また、「其にほひ桃より白し水仙花」という松尾芭蕉の句にもあるように、淡く甘い香りもこの花の魅力なのですが、花言葉は何と「うぬぼれ」「自己愛」だそうです。ギリシア神話がその由来だそうです。がっかりしてしまいましたが、中国では「水仙」と書き表して水辺で咲く姿を仙人に例えたということを知り、少しほっとしました。
 さて、天気予報によると、来週にかけて冬将軍が日本列島に居座るそうです。暦を見ると、来週の1月20日(金)はもう「大寒」です。これからますます寒さが厳しくなっていくのかと思うと弱気になりますが、背筋を伸ばしたようなスイセンのたたずまいを見習い、また校庭で元気よく遊んでいる子どもたちの明るい声からパワーを分けてもらってがんばっていきたいと思います。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。


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 先週の22日(木)で後期の前半が終わり、今ホッとしています。
 毎日子どもたちといっしょにいると、笑い出してしまうことや感心させられることなども多くて楽しいのですが、病気やケガなどを始めとして気を張ることも少なくありません。ちょっと一休みです。
 今年の冬休みはカレンダーの都合により例年より長い休みとなっています。子どもたちには家族の人といっしょに楽しく過ごしてほしいと思います。
 さて、先週2本のテレビドラマの最終回が話題になりました。
 1本は1年間戦国時代の武将の生涯を描いた作品です。私は歴史上の人物を描いた作品に興味があるのですが、今回は主人公よりもそのお兄さんが好きなこともあって当初はあまり関心がありませんでした。それが、家族といっしょに見ているうちにフィクションとしてはなかなかよくできていると思えるようになりました。
 もう1本は社会派ラブコメディ(?)で私には全く縁のない作品だと思っていましたが、周囲の好評の声を耳にして「食わず嫌い」はいけないと思い、ダイジェスト版を見てみました。見ていて気恥ずかしくなるところも正直ありましたが、他のドラマのパロディもあり結構楽しめたので最終回も見てしまいました。
 私にはドラマの良し悪しはよくわかりませんが、両方とも見る人を惹きつけ、時には登場人物に自分の感情を移入してしまうような魅力のある作品だったように思います。改めて二人の脚本家の実力に感心させられましたが、一方では、授業もこのように子どもたちの関心を惹きつけ、45分間心を揺り動かせることができたらいいなと考えさせられました。クリエイティブな気持ちの大切さを教えられた思いがしました。
 何はともあれ、これからはオープニングのバイオリンの音色を聴くことができないのは寂しい思いがしますし、アメリカの駐日大使も踊ったと伝えられているエンディングのダンスはもう少し見たかったなと思います。
 
 今年もいよいよ“ 最終回 ”を迎えます。1年間たくさんの方にお世話になりました。心よりお礼を申し上げます。皆様にはよいお年をお迎えください。

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 1年生の教室に子どもたちが図工の時間に描いた「くじらぐも」の絵が掲示されています。物語の絵を描く学習で、担任が読み聞かせをした話から自分の好きな場面を切り取って表したものです。旧友に出会ったような思いから絵の前で立ち止まり、一人ひとりのくじらぐもを見ながら頬を緩めてしまいました。
 中川李枝子さんが書かれたこの『くじらぐも』は、一昨年まで使っていた国語の教科書に載っていましたので、この話の学習が始まると1年生の教室からは「天までとどけ、一、二、三」と大きな声が聞こえてきました。
 私自身も担任をしたとき、教室に大きなくじらぐもを泳がせて「天までとどけ、一、二、三」、校庭で学習をしている時に白い大きな雲が出てくるとジャングルジムに登って「天までとどけ、一、二、三」、屋内運動場のマットを片付けるとその上にジャンプして「天までとどけ、一、二、三」というように、子どもたちといっしょに笑顔で大きな声をあげました。作品の世界に子どもたちと浸かるのはとても楽しい時間でした。
 失敗したこともあります。1年生の教科書に岸なみさんが書かれた『たぬきの糸車』という作品もありました。破れ障子に見立てた紙を子どもたちが持ち、その穴から私が回す本物の糸車の動きに合わせて目を動かします。「キーカラカラ キーカラカラ」「キークルクル キークルクル」と私が声を出すと、にこにこしながら子どもたちの目も真剣に回ります。でも、しばらくやっていると子どもたちから「目が回ってきた」「目が痛い」などと苦情を言われてしまいました。調子に乗って私が糸車を何度も回しすぎたのか、回すスピードが速くなりすぎてしまったのか、とにかく子どもたちに謝りました。今となってはそれもなつかしい思い出です。
 子どもたちといっしょに楽しく「学び」を紡いでいくことができるのは、教師にとって何物にも代えられない喜びであり宝物だなとしみじみと思いました。
 


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 6年生の教室にたくさんの瓢箪が吊り下げられています。6年生は総合的な学習で「日本の伝統と文化」について学んでいますが、その一環として瓢箪を取り上げ、栽培されている地域の方からお話を伺いました。さらに育てた果実を分けていただき、各自が絵付けや色付けをしました。地域の方のご協力により貴重な体験をさせていただきました。
 瓢箪は古くから水や酒を持ち運ぶ容器として使われ、時代劇でも侍などが腰にぶら下げている姿をよく目にします。また、「三つで三拍(三瓢)子揃って縁起が良い」とか「六つで無病(六瓢)息災」ともいわれ、縁起物とされてきたそうです。豊臣秀吉が馬印に用いた「千成瓢箪」は特に有名です。何十年も前に飾った私の五月人形の中にも、槍のミニチュアとで並んで瓢箪の馬印があったことを覚えています。もっとも当時は何故武器でもない瓢箪が飾ってあるのか不思議に思いました。
 ところで、瓢箪を見ると私は『西遊記』の話を思い出します。金角と銀角という妖魔の兄弟が、三蔵法師の肉を食べれば不老長寿になれると信じて孫悟空たちを襲った時に使ったものが「紫金紅葫蘆(しきんこうころ)」という瓢箪でした。返事をした敵を吸い込むこの瓢箪がよほど印象に残ったのか、小学校低学年の頃に読んだのに「瓢箪=吸い込む」という図式が未だに私の頭の中から消えないのはおかしなものです。
 西遊記は実写版や人形劇、アニメの番組としてテレビで何度も放映され、その都度私も面白く見ていましたが、やはり觔斗雲(きんとうん)や如意棒などを操る悟空の活躍に「はらはら」「どきどき」「わくわく」しながらページをめくった思い出にはかなわないようです。
 さて、本校では先週から「もみじ読書週間」を行っています。図書委員会の子どもたちのがんばりもあり、毎日大勢の子どもたちが図書コーナーを利用しているようです。私の『西遊記』のように、子どもたちも心に残る本との出合いをしてくれたらうれしいなと思います。






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 小田原市内の各小学校では、子どもたちが二宮尊徳の事績等を学習することにより、郷土の先人を愛する心を育てるとともに、自己の生き方の一助とすることを願って「二宮尊徳学習事業」を行っています。
 本校でも4年生が資料などを使って尊徳の生い立ちや人柄、考え方や功績などについて調べる中で、尊徳の大きな教えである「積小為大」や「至誠」、彼の考えを日常生活で実行するためのキーワードである「勤労」「分度」「推譲」について学びました。また、11月14日(月)には講師をお招きして、尊徳についてさらに詳しい話を伺いました。
 私も小学生の頃、尊徳というよりも「金治郎(金次郎)さん」の話として読みました。捨ててあった稲の苗を育てることから始めて少しずつ自分の蓄えを増やしていき、没落した生家を再興させたこと、勉強好きで昼間も仕事の合間に本を読んだり、夜に読書をするために必要な油を取ろうと菜の花を栽培したりしたことなどを読み、「子どもなのにすごいな」と感心させられました。
 小田原人としては恥ずかしい話ですが、私が尊徳の教えの深さや人としての魅力に惹かれたのは教壇に立ってからでした。今では、
「誠実にしてはじめて禍(わざわい)を福に変えることができる。術策は役に立たない」
「キュウリを植えればキュウリと別のものが収穫できると思うな。人は自分の植えたものを収穫するのである」
という尊徳の言葉を、私自身の戒めの言葉にしています。
 さて、金治郎少年といえば薪を背負いながら本を読む姿の像が有名ですが、本校にも同様な像が建てられています。像の脇にある石碑に刻まれた碑文によると、昭和8年に「愛山会」という本校のある年度の卒業生の会の方々が、会の創立二十周年を記念して寄贈してくださったものだそうです。残念ながら昭和18年に大東亜戦争(太平洋戦争)のため供出することになり、しばらくは金治郎像がない状態が続いていたのですが、昭和28年に本校の開校八十周年を記念して、愛山会の方々が再度寄贈してくださったそうです。
 卒業生の方々が本校及び本校の子どもたちを大切に思ってくださったことに感謝するとともに、彼らの心で満たされたこの像が子どもたちを毎日温かく見守っていることを考えると心強い思いがしてきます。また、先輩方のこうした思いをぜひつなげていかなくてはいけないと思いました。
 ところで、本校の金治郎少年が読んでいる書物は「大学」だそうです。(3年前の4年生たちに教えてもらいました)

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 ♪ しずかな〜 しずかな〜 ♪
 本校では全校児童を縦割りの8つのグループに分け、年間を通してさまざま活動をしていますが、先週の25日(火)には全校で「わんぱくグループ遠足」に行ってきました。
 学校を出て木々に囲まれた道を歩き、「小田原こどもの森公園わんぱくランド」に向かいますが、その途中で、深まりゆく秋の陽光を浴びて穏やかにたたずむ昔ながらの建物に目が止まりました。(写真左)山里の秋の風情を感じ、しばし見とれてしまいました。学区内を歩くとこうしたさりげなく美しい風景に出会えることは本校の大きな自慢です。
 ところで、朝霜が見られるようになる季節を意味する「霜降(そうこう)」も過ぎ、秋が一段と深まってきましたが、本校の1年生も「実りの秋」を迎えました。
 地域の方に育て方を教えていただき、時には世話もしていただきながら、5月に苗植え、7月に草取り、9月につる返しをし、10月に収穫をしました。(写真右)
 収穫したさつまいもが入ったコンテナを満足そうに運ぶ子どもたちの笑顔を見ていると、30年ぐらい前に本校が行っていた「いもにパーティー」を思い出しました。
 現在のプールがあるところに全校児童が栽培するいも畑があり、苗に水を撒くために校舎の水道場からじょうろやバケツで水を運びました。夏の暑い日の作業は大変でした。
 秋に収穫したさつまいもは、ワックス缶などで作った手作りの「かまど」を縦割りグループごとに校庭に置き、その上に大きな鍋を置いていもをゆでました。いもに火が通るまでは、全校集会を行ったり、各グループで遊んだりして待ちました。この頃から本校では縦割りグループでの活動が盛んで、伝統になっているようです。たくさん遊んで楽しんだ後で仲間と食べるいもの味は最高のようで、頬張った子どもたちの満面の笑みは今も覚えています。
 さて、今年収穫したいもで、1年生はお世話になった地域の方もお呼びして、「さつまいもパーティー」を開催するそうです。地域の方との絆を一層深めてほしいと思います。

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 本校では各ご家庭にお願いして、ベルマーク事業に取り組んでいます。回収したベルマークはボランティアの皆さんに仕分けや集計をしていただいた後、「ベルマーク預金」として積み立て、学校で使う物を購入しています。
 昨年度は「カラー竹馬」などを購入しましたが、最近休み時間に竹馬の練習に励む子どもたちの姿を見かけるようになりました。
 私も小学校の中学年の頃に、竹馬にはまりました。もちろんスチール製の竹馬ではありませんが、近所の子どもたちが遊ぶのを見て欲しくなり、知り合いから竹を分けてもらって父に作ってもらいました。
 前に倒れそうになるところをバランスを取って右、左と一歩ずつ竹馬を進めるのですが、運動が苦手な私には悪戦苦闘そのものでした。ただ、元来飽きっぽい性格である私ですが、なぜかこの時は途中で投げ出さず、毎日練習を続けることができました。練習しているうちに5歩、10歩と歩けるようになると、コツのようなものを体が覚え始め、結構長く乗れるようになりました。その時のうれしさは今も覚えています。自信がついてくると、友だちと競走したり、ジャンプを競ったりしました。調子に乗りすぎて、足を乗せる所をだいぶ高くして家の庭で乗っていた時にバランスを崩し、竹馬で窓ガラスを割ってしまい、母からもの凄く怒られたこともありました。
 熱中した竹馬でしたが、高学年になるとゴムを巻いて模型飛行機を飛ばすことに興味が移り、竹馬は物置にしまい込んだままになってしまいました。
 子供の頃には、一時一つの遊びに夢中になることがよくあります。竹馬を始め、石蹴り、缶ぽっくり、馬跳びなど友だちといっしょに遊んだことは、大人にとって懐かしい思い出です。
 本校の子どもたちにもいろいろな遊びを通して、「竹馬の友」としての絆をますます深めていってほしいと思いました。

 ところで、明日の13日(木)は十三夜です。先月の十五夜は何とか雲の間からきれいな月を見ることができましたが、今回は心ゆくまでお月見ができる夜空になってほしいものです。それから、片見月にならないように準備も忘れないようにしたいと思います。

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 「田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」
 「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」
 4年生の教室に、なつかしい短歌が掲示されています。子どもたちが国語で学習している「小倉百人一首」で、毎日思わず立ち止まってしまいます。
 私は歌集として編纂されて百人一首が「歌かるた」になったものと思っていたのですが、元々は藤原定家が鎌倉幕府の御家人から山荘の襖の装飾に使う色紙を依頼されて選定したものだそうです。襖に百首の名歌が飾られている家は想像するだけですごいと思いますが、恐れ多くて襖の開け閉めに神経を使いそうです。
 正月のかるた遊びによく使われる百人一首ですが、私自身は遊んだ覚えがありません。我が家の子どもたちが中学生だった頃、学校で1月に行う「かるた取り」に備えて、冬休みに時には母親も交えて練習していました。その時に使ったかるたは今もあります。子どもたちがある時期一生懸命練習に使っていたものですが、長い間箱を開けられることもありません。子育ての思い出の品とでもいうのでしょうか、見ていると感慨深くなってきます。
 子どもたちの教科書には載っていないのですが、私の記憶に残っている歌に、
「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」
という在原業平の歌があります。
 ところで、『ちはやふる』という競技かるたに没頭する少女を主人公とする漫画があることを恥ずかしながらつい最近知りましたが、この歌が関係していることを知って驚きました。
 「伝統」はいろいろな形でつながっていくものだと感心するとともに、時の流れに後れを取っている最近の自分に大いに反省しました。

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 先週の9月7日は「白露」でした。ようやく秋の気配を感じるようになる頃を意味するそうです。確かに朝晩は涼しくなってきましたし、日が暮れると虫の声がよく聞こえるようになってきました。
 とはいえ、昼間はまだまだ「残暑」が続きます。24日(土)の運動会に向けて子どもたちの練習にも力が入ってきましたが、熱中症には気を付けなくてはと気を引き締めているところです。
 さて、9月15日(木)は「十五夜」です。旧暦の8月15日の夜を指しますが、この日の月を「中秋の名月」と呼び、「お月見」をするようになったそうです。旧暦では秋を「初秋(7月)・仲秋(8月)・晩秋(9月)」に分け、秋の中日である8月15日を「中秋」と呼ぶようになったことに由来するそうです。
 十五夜というと満月を想像しますが、今の暦とずれがあるため、今年は17日(土)が満月だそうです。少しがっかりです。
 我が家でも子どもたちがまだ小学生だった頃、母から教わった通りに、ススキや団子、果物などを飾って月見を楽しみました。団子はこの時期に収穫される里芋の代わりに供えるようになったともいわれ、ススキは稲穂の代わりだそうです。理由は分かりませんが、私の家では豆腐も供えました。子どもの頃甘い物が好きだった私は、月を眺めながらも母が早く「団子を食べてもいいよ」と言ってくれないか待ち遠しく思っていたことを覚えています。
 しばらく月見をしていなかったので、今年はまた団子などを飾ろうかなと思いますが、十五夜に月見をしたら「十三夜」の月見もしないといけない、片方だけでは「片見月(かたみつき)」といって縁起が悪いと母から言われていたことを思い出しました。10月13日(木)も忘れないように、カレンダーに丸印をつけておこうと思います。
 ところで、十五夜の月が雲に隠れて見えないことを「無月(むげつ)」、雨で月が見られないことを「雨月(うげつ)」と呼ぶそうです。今週は天気があまりよくないようなので心配です。

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 今日(31日)は「台風一過」の言葉がまさに当てはまる天気になりました。
 先週、台風9号による土砂災害の危険性があるということで、学区に避難勧告が出され、本校も避難所になりました。
 幸いにも被害はなくて安心しましたが、今度は台風10号が関東地方に接近し、上陸するかもしれないという報道に心配していました。
 台風の進路が予想と違ったため、今回も被害を受けることがなく、ほっとしたのですが、台風により多くの方々が被害を受けられたことに心が痛みます。
 この「台風」という呼称や表記が日本で定まったのは1956年(昭和31年)だそうです。私が生まれる少し前から広く使われるようになったことは意外でした。もっと前から使われていたものと思い込んでいたので、大変驚きました。
 ところで、私の家の近くには海も川もあるため、台風の時の様子を子どもの頃から見てきました。普段はきれいな青色をしている海が鉛色になり、襲いかかるような波が間断なく打ち寄せます。浜辺との境の防潮堤の扉が閉じられ、まだ漁が行われていた頃は、舟を堤の内側に引き上げるなど、異様な緊張感を感じたことを覚えています。また、いつもは澄んだ川の水の流れがものすごい勢いの泥水となり、橋や道路に水が流れ出てしまうのではないかと心配になるほど水位が上がります。実際、私の家の横を流れる用水路に川の水が逆流してきて、周りが冠水したこともありました。荒れる自然の「力」に圧倒され、鳥肌が立つほどでした。
 台風のために停電することもあり、ろうそくや懐中電灯の心もとない灯りの中、屋根や雨戸を激しく叩きつける雨音や唸るような風の音に、不安な思いをしながら一夜を過ごしたこともありました。
 こうした子どもの頃の記憶があるためか、テレビのニュースで台風に関する情報が流れると、懐中電灯が点灯するか確かめたり、手回しラジオのハンドルを回したりしてしまいます。
 私たちは日々の生活の中で自然の「怖さ」を忘れがちになってしまいますが、時には「自然」と向き合い、「いざ」という時のための心と物の準備をすることも大切なことと思います。
 明日(9月1日)は「防災の日」です。我が家でも災害時用の備蓄品の確認を行おうと思います。

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 先週、本校では職員研修の一環として、「平成の大改修」を終えた小田原城を見学しながら、戦国時代から江戸時代までの小田原の歴史について、学芸員の方から話を伺いました。
 残念ながら私は参加できなかったのですが、職員から「城がとてもきれいになった」「中の展示が分かりやすかった」「学芸員の方の話がよかった」などの感想を聞くうちに自分もどうしても見たくなり、数日後に城門をくぐりました。
 改修直後にはテレビ番組でも度々取り上げられていましたが、実際に見ると外観は夏の陽に輝く白い姿がすっきりと美しくて感動しました。また、館内もグラフィックや実物が見やすく配置され、映像による歴史の一コマの再現シーンもあり、小田原の歴史がよく分かるような工夫が凝らされていることに感心しました。
 私が一番見たかったのは5階の展示室でした。昔の小田原藩有林の木材も使い、かつての天守に祀られていた「摩利支天像」の安置空間を再現した部屋です。工事に携わった小田原の職人さんたちの様子も映像で紹介されていて、その見事な「技」に小田原の実力を見た思いがし、誇らしい気持ちになりました。
 ところで、城内に安置されているこの仏像は、大久保忠朝が小田原への復帰がかなった際に、前任地から持ってきた持仏だそうです。以来、自然災害など幾多の難事に遭いながらも城の歴史が終わるまで天守にあって、小田原を見守り続けてきたそうです。
 「天像」といえば、寅さんでお馴染みの「帝釈天」や伊達政宗の幼名にも使われた「梵天」、上杉謙信が深く信奉していた「毘沙門天(多聞天)」などが有名ですが、私はこの摩利支天についてはよく知りませんでした。
 元来女神像であるこの仏像は、護身や蓄財などのご利益があるとされ、古くから武士の間で信仰されていたといわれます。楠木正成や毛利元就、前田利家、立花宗茂など、名の知れた武将たちも信仰していたそうで驚きます。歴史好きな私としては、大いに興味をかき立てられます。
 歴代の藩主を始めとして小田原藩の人々は、この守り本尊ともいうべき摩利支天像を前にして、平和な日々の暮らしが続くことを心から願っていたことでしょう。
 そう考えながらお姿を拝見していると、厳かな気持ちになりました。

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 先日、環境委員会の子どもが、ミニサイズの「ひまわり」の花を手製の花瓶に入れて、校長室に持ってきてくれました。このひまわりは委員会の子どもたちが育てたもので、児童用玄関や校内に飾ってくれました。(写真左)
 机の上に置かれたかわいらしい花を見ると穏やかな気持ちになり、また、心を込めて世話をする子どもたちの姿が目に浮かんできて、自然に口元が緩みます。素敵なプレゼントに感謝です。
 学年園でも3年生がひまわりを育てていて、こちらは子どもたちの2倍はありそうな背丈に育ち、大きく華やかな花を咲かせています。(写真右)
ひまわりは「向日葵」とも書かれるように、花が太陽の方向を追うように動くことは広く知られていますが、この動きは成長期だけのものだそうで、その時期を過ぎると花は東を向いたままになるのだそうです。驚きました。
 名前を聞いただけでも、ギラギラと輝く太陽や大粒の汗、蟬時雨、かき氷などが連想できるこの花の花言葉は、「崇拝」「あこがれ」だそうです。真夏日の中、青空に向かって真っ直ぐに茎を伸ばし、日輪の名にふさわしい花を誇らしげに見せる姿からは生命力や力強さが感じられ、この花言葉も納得できます。
 ひまわりの種は昔から油を採ったり、煎って食べたりしてきたそうです。私が小学生だった頃、リスを飼っている友だちがいて、いっしょに餌をあげたりしたのですが、その餌がひまわりの種だったことが頭の中に残っていたためか、煎った種を勧められても口にすることができませんでした。大人になり、「物は試し」と思い食べてみたところ、意外とおいしく、今まで損してきたように思ったことを覚えています。
 ところで、夏の花の代表であるひまわりですが、私は「切なさ」も感じます。それは、40年以上も前に作られたこの花と同名の映画を観たことに関係します。この映画は戦争によって引き裂かれた一組の夫婦の胸が締め付けられるような生き様を描いた作品です。物語の終わりの方で、画面一面に映し出されるのがひまわり畑でした。甘美なテーマ曲とも相まって、あの鮮やかなシーンは今でもはっきりと記憶に残っています。また、互いのことを心から思いやりながらも別々の道を歩む二人の姿を見ていると、「あなただけを見つめている」という、この花のもう一つの花言葉も浮かんできます。
 もし、この映画を観ることがなかったら、私はひまわりを単に夏の花としか見なかったかもしれません。そう思うと不思議な気がします。
 人との出会いはもちろん、1本の映画や1冊の本、1皿の料理などとの出会いは、自分自身の見方を豊かなものにしてくれるように思います。
 さて、明日はどんな出会いがあるのでしょうか。

校長室だより

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 ♪ ささの葉さらさら のきばにゆれる ♪
 子どもたちが7月7日(木)の七夕を楽しく迎えられるようにと思い、地域の方にお願いして竹を分けていただきました。その竹に、1・2年生がそれぞれの願いを込めて飾り付けをしました。
 七夕は五節句の一つで、「笹の節句」とも呼ばれるそうです。なぜ「たなばた」と読むのかわからなかったのですが、「七月七日の夕」という意味だそうです。
 私も子どもの頃、七夕の歌を歌ったり、竹に飾りを吊り下げたりしました。また、織姫(織女星)と彦星(牽牛星)のお話を読んでもらい、「二人はかわいそうだな」「天帝も少しひどいよ」などと思ったことを覚えています。
 4年生の理科の学習で「夏の大三角」を構成する星について学びますが、織姫は「こと座のベガ」として、彦星は「わし座のアルタイル」として紹介されています。ベガとアルタイルでは、夏の夜空のロマンスにはあまり合わないかなと思ってしまいます。
 ところで、七夕の歌の歌詞にある「五色の短冊」は、手習いごとの上達を願って書いたものだそうです。本校の短冊には、「○○が上手になりますように」「□□になりたい」「△△ができますように」などと書かれていました。子どもたちの短冊を一つ一つ読んでいくうちにふと、私の子どもが園の七夕飾りの短冊に、テレビで放映していた戦隊シリーズのヒーローになりたいと書いてあるのを見て、思わず笑ってしまったことを思い出しました。
 親子で七夕をいっしょに過ごせた思い出は、優しく瞬く星の灯りのようです。
 なお、「五色」というのは古代中国の教えで、この世のすべてのものの根源である五つの要素を指し、「青(木)・赤(火)・黄(土)・白(金)・黒(水)」だそうです。短冊にそのような意味が込められているとは思いも寄りませんでした。知ってしまうと、何だか書きにくくなってきます。
 さて、七夕の日には、千年前から続く行事食があることをご存じですか。意外なことに「そうめん」なのだそうです。この日に食べると、1年間無病息災で過ごすことができるそうです。麺好きな私には、大変うれしい行事食です。

校長室だより

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 6月21日(火)は1年で最も昼が長い「夏至」でした。いよいよ夏の暑さの本番を迎えます。今年は猛暑だそうで、気が滅入ります。
 とはいえ、今は梅雨の真っ只中。厚い雨雲が鬱陶しく感じられます。
 この季節を代表する植物といえば「あじさい(紫陽花)」です。先日まで「小田原城あじさい花菖蒲まつり」が開催されていました。テレビ番組でも紹介され、大勢の方が鑑賞されている様子も報じられていました。
 お城には負けるものの、本校にもあじさいが所々に植えられていて、見る人の目を楽しませてくれます。
 特に、北校舎横の坂道沿いに何本も植えられており、毎日子どもたちの様子を見て回る度に眺めては心を和ませています。
 私はあじさいが大好きというわけではありませんが、雨に濡れているあじさいも、青空の下でのあじさいも、雨上がりのあじさいも見るのが好きです。
 さて、あじさいは土壌の酸性度(pH)で花の色が変わる植物であることはよく知られていますが、意外にも原産地は日本だそうです。
 また、花言葉にもたくさんの意味があるようですが、私が気に入っているものは、「仲良し」「友情・友だち」「団結」です。
 本校の子どもたちを見守るのにふさわしい花だと思います。
 一生懸命に植えてくださった方に感謝するとともに、その優しいお気持ちに応えていきたいと思います。
 ところで、六月は「水無月」ともいいますが、雨の季節なのにどうして「水が無い」のか、不思議に思ったことはありませんか。
 「無」は「の」を表すのだそうで、「水の月」という意味だそうです。ちなみに10月を表す「神無月」は、「神の月」となります。
 おもしろいことに和菓子にも「水無月」があります。小田原でも馴染みのある白い「ういろう」に小豆をのせたものです。京都では1年の前半の穢れなどを祓い、後半の無病息災を祈願する「夏越祓(なごしのはらえ)」が6月30日に行われるそうですが、その日に食べるお菓子が「水無月」なのだそうです。
 ぜひ、我が家でも来週の30日に食べてみようと思います。

校長室だより

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 6月5日(日)は、稲などの穀物の種をまく頃を意味する「芒種」でした。
 米・小麦・トウモロコシを「世界三大穀物」と呼ぶそうですが、4番目に生産量の多い穀物が「大麦」だそうです。本校でも「麦ごはん」として給食でよく食べています。
 大麦はイネ科の植物で、日本では主に二条大麦・六条大麦・ハダカ麦の3種類が栽培されているそうです。二条大麦はビールやウィスキーなどの原料に、六条大麦は麦茶や麦飯などに、ハダカ麦は麦味噌などに使われます。いずれも我が家でも馴染みのあるものばかりです。他にも青汁や麦チョコなどにも使われており、その働き者ぶりには驚きます。
 大麦は秋に種をまき、苗の状態で冬を越し、初夏に収穫をするので、イネの裏作として栽培されることが多かったようです。私の親戚が農業もしていたので、子どもの頃冬になると「麦踏み」も時々見ることができました。私も面白半分でやらせてもらったことがありますが、けっこう大変なことだなと思ったことを覚えています。
 ところで、給食の食材でもあるこの大麦がどのような植物なのか、子どもたちにその成長の様子を見てもらいたいと以前から思っていたのですが、今年の春に種を少し分けていただくことができました。
 種をまく時期は過ぎてしまっていましたが、発芽の様子を見るだけでもいいかなと思い、学校で栽培することにしました。
 少しでも大きく育って欲しいという願いが伝わったのか、今は穂をつけるまで成長しました。穂が風に揺らぐ様子は、何とも清々しく心が癒やされます。
 「実り」は大麦を熱心に育てたことへの、また、大麦を大切に思う心への、自然からの「贈り物」だと思います。
 今年も各学年の畑でいろいろな作物が栽培されます。子どもたちに素敵な贈り物があることを願っています。

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