【校長のつぶやき】「戦争」を授業で扱うとき(令和4年8月15日・月)

 終戦から77年…本日は終戦記念日です。
 ここ何日かの新聞記事で、「戦争」に関する内容を扱っているものがいくつかありました。その中に、戦争体験の語り部による講話中の質疑応答で、大学生から「日本も軍備を広げないといけないのではないか。」と問いかけられ、一瞬気まずい雰囲気に包まれたという記述がありました。ウクライナ侵攻を踏まえ、平和を保つという理由からの問いかけだったそうです。それまで、語り部は、自身の体験とウクライナでも子供が犠牲になっていることを重ね、「戦争が始まる前に止める努力をしてほしい。」と呼びかけていました。この学生の質問に対し、しばらく考えた後に「互いに軍拡を進めて本当に平和が保てるのでしょうか。」と答え、学生は黙ったまま講話は終わったそうです。
 一方、「抑止」に対する記事もありました。核兵器によって敵を抑止しようとする考え方、核抑止だけでなく通常兵器による抑止(「通常抑止」と呼ばれるそうです。)…各国の安全保障政策などがあり、専門家・指揮者による論評によってその是非が説かれていました。
 「戦争はよくない、やるべきではない。」と誰もが分かっていても、現実的には紛争なども含め、人の命を奪い合う行為は後を絶ちません。理想と現実が異なる難しい問題なのです。それでも、「戦争」は、社会科の授業で扱います。小学校では6年生の歴史学習の中で、各時代の争いごとをはじめ、日清・日露の戦争、日中戦争や我が国に関わる第二次世界大戦を扱う中で、戦争や平和の意味を考えます。
 私は6年生を担任しているときに、歴史学習では、いつ誰によって何があったのかを覚えるだけでなく、それらの意味を考えさせる場をなるべくつくるようにしてきました。特に、日中戦争をはじめとする十五年戦争のところでは、なるべく戦争体験者の話を直接聞く場を設け、直接的なやり取りを通しながら、戦争の悲惨さを実感できるようにしつつ、その戦争は避けられなかったのかを6年生なりに考える場を設けました。6年生なので、深入りはできませんが、資料や調べてきたこと、聞いたことなどをを基に子供たちなりに考えていました。
 例えば、…当時の時代背景からやむを得なかったのではないか。それまでの戦争にも勝っていたからいい気になっていたのではないか。日本が繁栄するためには仕方がなかったと思う。だからといって、中国や朝鮮、アジアの人々に行ってきたことはひどすぎると思う。途中で負けを認めることが難しくなったので原爆は仕方なかったと思う。原爆はいくら何でもひどいと思う。でも、この戦争がきっかけで日本は二度と戦争をしないと決めたのだから、結果的にはこの戦争にも意味があったのではないか。…これらの考えがいいか悪いか一概には言えませんが、今、思い出しただけでも、このようなことを子どもたちは発言したり、ノートに書いたりしていました。
 私は、このように「考える場」を授業中に保障することが大事だと思っています。戦争に関する資料も、プラスの面、マイナスの面、日本の立場、中国やアメリカをはじめ他国の立場…様々な視点から考えられるものを提示します。(あまり多すぎても混乱するだけですが…)
 軍拡の立場を簡単には否定できません。憲法第9条の改正についても同様に、賛成・反対を簡単には決められません。大人でもいろいろな立場から、いろいろな考え方をもっています。大事なことは、一面的な物の見方で自分の考えを決めてしまうのではなく、物事を多面的・多角的にとらえたり考えたりしたうえで、自分なりの考えをもつということだと思います。社会科学習のもつ意義・役割は重大だと言えます。簡単に答えが決まらない複雑な時代だからこそ…。
画像1 画像1
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

お知らせ

学校だより

保健だより

給食だより(食育だより)

給食献立予定表

下校時刻予定表

PTAだより

HP掲載資料

国府津小学校グランドデザイン

学校ボランティアだより