学校での子どもたちの様子をお伝えします。

春風駘蕩

「春風駘蕩」

 週の初めから体調が思わしくありません。今年になってからすでに4回も風邪をひき、体力の衰えを自覚するようになりました。
 体力の衰えというよりも、自己管理せずにいることが多いのだと思います。油断というか、咳やだるさを感じてから、ああそういえば薄着してたなと。油断していた、予見する力が衰えているというよりも、はじめから気にしていないことが多くなってきています。気をつけなければいけません。

 さて今週末は、授業参観、PTA総会、学級懇談会です。
 4月ですから、学校でも会議や配布文書が多くあります。忙しさを理由に、仕事や配布物等が「雑」なつくりにならないようにしないといけません。「雑」っていうと「雑用」とか「雑多」とか、まぁ扱いが、「これやっといて」「あれやっといて」とかいうように簡単な気持ちでするものということですね。

 ただ僕は仕事や、仕事だけでなくあらゆることにいえると思うんですが最初から「雑用」なんてないと思うんですよね。

 先週末のNHK特集「戦後70年ニッポンの肖像〜日本人と象徴天皇〜」を見ながら、昭和天皇の「雑草という名の草はありません。全ての草には名前があります」という言葉を思い出していたのでした。

 
 主体となる人が心のこもらない仕事をしたときに、そのときに「雑用」になってしまうのだと思います。関わる人の心がこもってないのが「雑用」です。だから、例えば行事をやろうというときには、皆で分担して準備していくのですが、自分の担当ではないからといって「俺には関係ないことだから」という気持ちで他の分担を手伝ったりすると、それはもう「雑用」になってしまうんですね。
 関係ないなんてことは、本来ないはずです。組織として行っているんだから。「雑」でいいということはありえないんですね。これは、子どもも僕たち大人も同じです。

 最初から「雑用」はありません。関わる人が「雑」にしてしまったときから、その仕事は「雑用」になってしまうんです。気をつけましょう。

 来週は月末です。もうすぐゴールデンウィークです。5月以降の動きのために、しっかりと自分たちの一月を検証しましょう。お題目で終わってしまったことはなかったか? 計画が遅れていることは? 目標に達しなかったことを隠そうというのは一番ダメですね。

 僕たちはだいたいいつも「どうにかなる」って楽観しています。その楽観するのは僕はいいことだと思っています。ただ「どうにかなる」と思っているのなら「どうにかする努力」をいかにするかということ。それをしないでいるってのは話にならないですね。責任を回避してはいけません。

 学校でも家庭でも4月は本当に慌ただしいです。
 慌ただしいときだからこそ、気持ちだけはゆったりしていたいものです。

 “春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)”

 素敵な言葉ですね。
 春風に吹かれながらのんびりしたり、春風のように人に優しく接したいものです。

桜に関するお話

桜に関するお話

 入学式以来、気温の低い日が続いています。
 低学年の子どもたちの中には、熱を出して休んでいる子もおります。
 みなさん、体調管理に十分留意されてください。

 さて、春といえば「桜」ですね。
 盛りは過ぎた感もありますが、このところの寒さで日持ちしているようです。
 雨に打たれながら、花びらが舞ってます。
 今日は桜についてのお話を二つ紹介します。

 能の演目に「西行桜」というのがあります。室町時代の世阿弥の作だそうです。
 京都の西行庵。春になると、美しい桜が咲き、多くの人々が花見に訪れます。しかし、この年は西行は思うところがあって、花見を禁止します。 一人で桜を愛でていると、例年通り多くの人々がやってきました。桜を愛でていた西行は、はるばるやってきた人を追い返す訳にもいかず、招き入れます。西行は、「花見んと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎(とが)にはありける」という歌を詠みます。「美しさゆえに人をひきつけるのが桜の罪なところだ」という意味でしょうか。
 
 西行が、夜すがら桜を眺めようと木陰で休んでいると、その夢に老桜の精が現れ、「桜の咎(とが)とはなんだ」と聞きます。「桜はただ咲くだけのもので、咎(とが)などあるわけがない。」と言い、「煩わしいと思うのも人の心だ」と西行を諭します。老桜の精は、桜の名所を西行に教え、舞をまう。そうこうしているうちに、西行の夢が覚め、老桜の精も消え、ただ老木の桜がひっそりと息づいているという内容です。
 
 桜の花に罪があるのではなく、それを見る人の心や振る舞い次第で騒がしくもなるものであり、また、それを煩わしく思うのも人の心だということなんですね。いつの世も、人の関わりについては同じです。


 米国ワシントンD.C.のポトマック川の川沿いには、毎年すばらしい花を咲かせ、アメリカ人をその美しさで喜ばせている桜並木があります。戦時中、アメリカ人の中には日本から贈られたこの桜の木々を敵国日本の象徴だとし、すべて切り倒せと叫んだ人も多くいたそうですが、守ってくれる人々も多くいたことは嬉しいですね。
 
 この桜をアメリカに贈ったのは、時の東京市長の尾崎行雄氏です。1912年にアメリカに贈ったのでした。尾崎行雄と言えば、「憲政の神様」と呼ばれる人物であることはよく知られてます。

 昨年10月、相模原市では、旧津久井県又野村(現相模原市緑区)出身で日本の立憲民主政治の発展に多大な貢献をした尾崎行雄(咢堂)の没後60年を記念し、「尾崎咢堂展」を市立博物館で開催してました。
 
 尾崎氏は常に内政に対しては国民を中心に、外交に関しては日本の立場と国際理解の立場をとり、1912年より憲政擁護活動を活発化させたことで有名です。1942年には時の首相、東条英機に対し翼賛選挙の中止を訴え、強く体制批判しながらも当選したことも、その時代背景を考えればすごいことです。

 尾崎氏は、「人生の本舞台は未来にあり」という言葉を残しています。
 自分が持っている知恵、知識や経験を世の中の必要としている人々に与え、死ぬその時まで懸命に伝えなさい。そして働く本舞台を未来に求めなさい・・・といったところだと思います。
 
 尾崎行雄氏は1890年の第1回総選挙で当選、以後63年間に及ぶ連続25回当選という記録をつくり、95歳まで衆議院議員を務めて憲政の最長老として国会のシンボルとなり、1954年に逝去されます。
 
 余談ですが、国会議事堂の近くに憲政記念館が有ります。ここは加藤清正の江戸屋敷でした。その後改易され、井伊家(彦根藩)の上屋敷となります。桜田門外の変(安政7年3月3日−1860年3月24日)で暗殺される井伊直弼もこの屋敷から登城する際に襲撃されます。ホテルニューオータニも屋敷跡の一部であり、ニューオータニの庭園は元々は加藤家によってつくられ、井伊家に引き継がれ、現在に至っているようです。

 憲政記念館の玄関には先ほどの尾崎行雄氏の、
  「人生の本舞台は未来にあり」
の石碑が建ってます。

 憲政記念館には、幕末から昭和期にかけての資料(薩長同盟裏書、新政府綱領八策、田中正造足尾銅山鉱毒についての質問書、伊藤博文遭難事件関連資料、原敬首相演説草稿、斎藤隆夫関連資料)も展示されています。

 桜の盛りは過ぎましたが、ホテルの庭園で季節の花を愛でながらお茶を飲み、人の心情や歴史上の人物などに思いを巡らすのも素敵ですね。
 機会があれば是非、立ち寄ってみてください。


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