学校での子どもたちの様子をお伝えします。

芭蕉生誕370年

芭蕉生誕370年

先週末、所用があって豊田市に行ってきました。
豊田市もかつては挙母市(ころもし)と呼ばれ、江戸時代には挙母藩が置かれて
いました。現在はトヨタ関連の企業城下町として栄え、平成の大合併で面積は
愛知県全体の20%を占め、人口も42万人と名古屋に次ぐ愛知県2位の都市
となっています。

所用を済ませた後、伊賀市に行ってきました。かつては上野市と云っていたの
ですが、ここも町村合併で伊賀市となりました。

伊賀というと僕はすぐに忍者を連想するのですが、皆さんはいかがでしょう?
僕らの世代は忍者になじみが大変深いのです。
幼少期から少年期にかけテレビでは風のフジ丸、隠密剣士、忍者部隊月光、
サスケ、仮面の忍者赤影、忍者ハットリ君・・・、伊賀の影丸、忍者武芸帳、
カムイ伝など白土三平さんの漫画もよく読みました。
忍者ものは大人になった今でも好きです。金沢や戸隠の忍者屋敷にも、近くへ
行った折にはよく寄って来ます。

伊賀や甲賀、根来はあまりにも有名ですが、小田原風祭には北条に使えた忍
者、風魔一党がいました。風魔小太郎という名を聞いたことはありますね。
風魔の頭領は代々、小太郎を名乗ったようです。
一昨年には小田原で“忍者サミット”も開催されております。
この時も伊賀と甲賀が参加しております。

風魔一党には二曲輪猪助(にのくるわいすけ)という足の速い忍者がおり、
上杉と北条が河越城で戦った際に太田犬之助という忍者に追いかけられた話も
伝わっています。また、「忍たま乱太郎」にも二郭伊助という名で出てきます。

今回は忍者ではなく「芭蕉」を中心に見学をしてきました。芭蕉は蕉風俳諧の
祖として有名ですが、「奥の細道」は中学の国語教材としても取りあげられ、
日本人にとってはなじみの深い作品となっています。先週、真鶴町で行われた
「かながわ学びづくり実践研究 確かな育ちを支える幼小中連携教育」の授業
公開でも真鶴中では「奥の細道」を題材に授業公開をしていました。
また、この夏NHKでは「日めくり奥の細道」を放送してました。
その芭蕉の生誕の地が伊賀市なのです。

今年は芭蕉生誕370年ということで、芭蕉翁記念館で芭蕉直筆の色紙や俳諧
に関する資料を見学し、芭蕉翁生家、蓑虫庵を見てきました。
 古池や かわずとびこむ 水の音
蓑虫庵には池があり、その傍らには石碑があり石の蛙もおりましたが、
この句は深川の芭蕉庵で読まれたのではないかといわれてます。
記念館では、「俳諧中興時代−芭蕉に帰れ」という企画展が行われており、
 「古池や その後とびこむ かわずなし」
という、川柳も掲げられていました。 

でも芭蕉といえば、何といっても「奥の細道」ですね。
僕らの世代は、中学の国語の時間で暗唱させられました。方丈記も平家物語も
枕草子もみな暗唱させられました。国語だけでなく英語も、みな暗唱でした。
斎藤孝さんの「声に出して読みたい日本語」が話題になったのは25年位前だと
思いますが、「じゅげむ」をはじめ、そのほとんどは小学校や中学校で暗唱させ
られ覚えてました。小・中学校の記憶はなかなか消えません。

芭蕉と同時代に活躍した人物としては、井原西鶴、近松門左衛門がおります。
西鶴は町人物を得意とし、「日本永代蔵」では、
 “ただ金銀こそが町人の氏系図”
と、商人の道はただひたすらに銭もうけにあり、勤倹貯蓄、信用、才覚や
忍耐力を美徳として繰り返し説きます。
近松は武士の出身ですが、歌舞伎や人形浄瑠璃などの脚本を書きます。
役者としては江戸で市川團十郎、上方では坂田藤十郎や芳沢あやめなどが
活躍します。
さらに人形浄瑠璃では、辰松八郎兵衛らの人形遣いと竹本義太夫らの語りとで
歌舞伎以上の共感を人々に呼び起こしたともいわれております。

彼らが活躍するのは、17世紀末から18世紀初めにかけての上方(京・大坂)
が中心です。京では葵祭が復活したり、江戸城松の廊下での刃傷事件や
その後の赤穂浪士の討ち入りがおこったのもこの頃です。
国内外の平和と安定を背景に、徳川5代将軍綱吉の時代を中心とした町人が
文化の主役、担い手であった、いわゆる元禄文化時代です。

話を芭蕉に戻します。
「奥の細道」の冒頭部から、旅に対する想いが、ひしひしと伝わってきます。
特に、
  “日々旅にして旅をすみかとす”
 “片雲の風に誘われて、漂白の想い胸にやまず・・・”
 “前途三千里のおもい胸にふさがりて・・・”
などからは、
  旅の中を旅するのが人生。旅、そのものが人生だ。
  みんな旅の途中、夢の途中なんだ。
と、いっているような気がしてなりません。

僕らの心にも「そぞろ神」を招き入れ、「旅」に出たいものです。

 “本当の旅の発見は、
  新しい風景を見ることではなく、新しい視点を持つことにある。”

電車の中刷り広告で見たマルセル・プルーストの言葉を紹介し、終わりとします。 

「ねばならない」から「やれること」と「やりたいこと」へのコラボ

「ねばならない」から「やれること」と「やりたいこと」へのコラボ

このところ書類作成等の事務仕事に追われております。
段取りを取り、細心の注意を払い、適切に処理していかないと
大変なことになりそうですというか、なってしまいます。

人には「やらなければならないこと」のほかに、
「やれること」と「やりたいこと」がありますね。
日常の生活場面において、仕事でも勉強でも「やらねばならない」という使命
感、圧迫感というものがつきまとうわけです。
日常業務以外の新たなプロジェクトや従来と違うものに取り組むといったとき
は、慣れていないうえに、そのときの実力に比べレベルが高い場合がほとんど
ですから、「やらなければならないこと」をやるのは本人にとって非常に辛いの
です。

「やりたいこと」というのは自分の嗜好で、好きか嫌いかで判断できるわけです。
「やれること」これも自分の実力内で消化できます。
しかし、「やらなければならないこと」というのは窮屈で気が進まないことが多く、
ついつい後回しになるのではないでしょうか。
中には、何事にも挑戦だ、ワクワクする。という方もいらっしゃいます。
また、いやなことは先にやってしまうという方もおられるようですが・・・
なかなかね。

そんなときは、
“やりたくないけど、しょうがない、やってみるか”
という気持ちづくりが大事ですね。

最初に「やらなければならないこと」をやるのは、まぁ仕方ないとして、
「やらなければならないこと」と「やれること」、「やりたいこと」
この三つをうまく繋ぐことができれば、窮屈さを解消とはいわないまでも、
軽減できると思ってます。

子どもの勉強なんて、その最たるものじゃないですか。
子どものうちは誰だって遊びたい。
学校の勉強が好きで好きでたまらないなどという子どもはまずいません。

でも、家でテレビやゲームばかりしていると家の人に叱られるとか、宿題を
やっていないと学校でたたされるなどの理由で(本校にはそんな先生はおりま
せん。私の過去の経験です!)、仕方なく机の前に座るというか座らされる。
そうすると、中にはそうしているうちに、勉強そのものに興味がわいてくる子も
いるし、成績が上がって家の人の喜ぶ顔を見たら、またこの顔みたいとがんば
る子も出てくる。
こうなったとき、この子たちにとっての勉強は、
単なる「やらなければならないこと」から「やれること」「やりたいこと」に変化した
といえます。さらにそれが習慣化すれば、もう云うことはありません。

でも、そのきっかけ作りは結構難しいです。

僕はテレビばかり観ている子どもでした。
勉強をするよりテレビを観ていた方が断然、面白いですからね。
頭ごなしによく言われました。
“テレビばかり観てるんじゃない!”

“お前がテレビをみたい気持ちはよくわかる。テレビ、楽しいもんなっ!
 そんな気持ちは誰にもあるし、あってもいいんだ。
 でも少し勉強して、わからないことがわかると授業がもっと楽しくなるぞ!
 いやな勉強でも、復習だけはしておこうというそんな気持ちが大事なんだ。
 そういう気持ちをつくってみないか。ちょいとがんばってみようよ”

なんていわれていたら・・・・

気持ちをつくる言葉がけを意識できるとよいかもしれませんね。

子どもたちも含め、自分自身が気持ちをつくれるようになると実際の行動にで
き、「やらなければならないこと」から「やれること」「やりたいこと」に変化して
いく可能性がでてくるのではないでしょうか。

「軍師官兵衛」〜石田三成414回忌

「軍師官兵衛」〜石田三成414回忌

大河ドラマ「軍師官兵衛」を毎週楽しみにみています。
ここ数年、大河ドラマは「天地人 直江 兼続」「お江〜姫たちの戦国〜」や「龍馬伝」など、戦国や幕末期を扱ったものが多いような気がします。
戦国や幕末の動乱は、人々を魅了する人物や事象が多いのでしょうね。

「軍師官兵衛」も佳境に入ってきました。先日は、秀次が謀反の疑いをかけられ切腹し、再度、朝鮮出兵(慶長の役、1597)が始まるあたりを扱っていました。
翌年、秀吉は死去するのですが、今後は秀吉後の家康の台頭と石田三成との対立を中心に官兵衛の動向について扱われるのだと思われます。

やがて家康と三成は関ヶ原で、いわゆる天下分け目の合戦を戦うことになります。
石田治部少輔(じぶしようゆう)三成率いる西軍約8万4千と徳川家康率いる東軍7万5千の兵が激突します。現在、その関ヶ原周辺には戦国時代の武将の陣地を示す石碑が多く残されています。

「軍師官兵衛」で三成は、どちらかというと奸物のように描かれていますが、なかなかの知将であり、ゆかりの史跡を訪れる人も多く、現代人にとっての人気は高いようです。
司馬遼太郎さんの「関ヶ原」では、京都大学解剖学教室の足立博士の調査をも
とに三成は「非常な優男(やさおとこ)」であったと書いています。
当時も今位の人気があれば勝敗の行方は変わっていたかもしれません。

なにせ8万4千の軍勢のうち、毛利や長宗我部は傍観者を決め込み最後まで戦いに参戦しませんでしたし、小早川秀秋らは土壇場で東軍に寝返ります。いわゆる反乱軍です。
そもそも秀吉子飼いの黒田長政や福島正則は始めから東軍につきます。
三成との確執もあったのかもしれません。

秀吉と三成の出会いには、「三献茶」、「三碗の才」などと呼ばれるエピソードが
あります。
夏に鷹狩りをしていた秀吉は喉が渇き、ある寺に入ったところ、寺で修行してい
た三成が三杯の茶を入れた。
最初はぬるめの茶を、二杯目は量を半分にし茶を熱くした。
三杯目は湯の量はわずかでとても熱かったそうです。
三成の配慮に秀吉は感動したのでしょう。
JR長浜駅のロータリーには茶を持った三成と秀吉の銅像があります。

小説やドラマの構成で、歴史上の人物像は大きく異なって描かれます。
「功名が辻」の山内一豊だって、三成から見れば裏切り者です。
わかっているのは史実としての関ヶ原の戦いだけです。
西軍は小早川らの裏切りで総崩れとなり、三成は捕らえられ大坂を引き回され
た後、京都六条河原で斬首され、三条河原で晒されます。 

三成の生誕地・滋賀県長浜市だけでなく琵琶湖周辺地域では、
三成は郷土の誇りとして顕彰されています。

11月6日(旧暦10月1日)は石田三成414回忌です。

宇宙監視

宇宙監視

 10月27日(月)、理化学研究所創発物性科学研究センターの上級研究員の山本先生をお招きして6年生の理科の特別授業が実施されました。熱電変換器を用いて温度差を利用したゼーベック効果による発電やペルティエ効果を利用した電流から熱への変換実験などを行い、子どもたちにもわかりやすいエネルギー変換、理科の不思議を実体験させていただきました。ありがとうございました。

 先週の新聞に、「宇宙監視 米軍と連携」という記事が掲載されました。宇宙空間での安全保障上の脅威が高まっており、日本はJAXAの衛星の安全を監視してきたが、今後はその対象を他国の軍事衛星や情報衛星に拡大するという内容です。将来的には、自衛隊に宇宙監視の専門部隊を新設することを検討しているそうです。
 宇宙空間では衛星攻撃兵器を使った実験を行っている国もあり、この破壊実験や宇宙ゴミと呼ばれる機能停止した人工衛星などによって、現在運用中の衛星やGPSが使えなくなる可能性があり影響が大きいとのことです。

 この夏、「立花隆の宇宙教室」という本を読みました。立花さんの本はどれも面白く、「さる学の現在」や「20歳のころ」、「脳を鍛える」などが記憶に残ってます。最近では「臨死体験」に関連しNHKで「立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」を放送してましたし、11月号の文藝春秋でもこのことについてコメントしています。
 「宇宙教室」は小学校で行った「宇宙授業」の記録です。その過程で子どもたちはどのように「思考する技術」を身につけるのかをテーマに構成されています。なかなか面白く読みました。その中で新たな知識の獲得もできました。いろいろな方との対談もあり、最近の立花本ではおすすめの一冊です。

 本の中で立花氏は、我々が目にすることのできる宇宙はわずか4%に過ぎない・・・と、ガガーリンから53年、まだまだ宇宙は未知なる空間なんですね。
 夜空に輝く星はみな恒星です。太陽に代表される恒星は核融合現象を起こし、超高温、超高圧状態になっていていかなる生物も住めません。地球から一番近い太陽以外の恒星は4.4光年(光の速さは秒速約30万キロ、光で4.4年かかる)離れたケンタウルス座α星です。秒速20キロメートルで進む太陽が1000年たっても隣の恒星にたどり着かない程、宇宙は広いのです。(ケンタウルス座α星に行くのにも現在の技術では数十万年かかります。)
 恒星の周りには惑星があり、そこには知的生命体が存在する可能性が大きいことが宇宙望遠鏡探査衛星ケプラーのデータからも裏付けられています。私達が存在するのと同じように宇宙人が存在しても何の不思議はありません。「はやぶさ」の探査など、科学技術の発展とともに太陽系以外の系外惑星のことも少しずつわかってきています。宇宙の扉は少し開いたといったところでしょうか。

 夜空を輝かせる星に、人類は太古の昔から憧れと畏れを持って接してきました。星の動きや星座の移り変わりで季節を知り、日常生活に役立ててきました。その私達の最も身近な宇宙空間で人類の知恵が衝突してます。人間の傍若無人な振る舞いのつけが回ってこないよう、科学技術は平和利用を前提に発展して欲しいものです。

 来月4年生は、「かわさき宙(そら)と緑の科学館」のプラネタリウムを見学し宇宙の不思議を体験してきます。

「はやぶさ2」その後

「はやぶさ2」その後

 週初めの20日(月)に、11月30日に予定されている小惑星探査機「はやぶさ2」の打ち上げで使用するH2Aロケット26号機の機体主要部分を飛島工場(愛知県飛島村)で公開したとの報道がありました。

 僕は前回の「はやぶさ」に非常に興味がありまして、「どっかいっちゃった」とか
「エンジン停止」とかこれまで新聞に載っていた小さい記事も読んでいたんです。
「イトカワ」で砂を取ったこともすごいことだけど、「帰還」したことがとてもうれしかったのです。「はやぶさ」にはもちろん魂はないんだけれど、人間がそれを使って「人智」というものの凄さを見せ付けてくれたと思うんです。

 「はやぶさ」は2003年に打ち上げられ、7年ぶりに還ってきました。その間、故障等多くの困難にみまわれ、一時は行方不明になったのですが、人間の知恵と工夫で奇跡の復活、携わる人々の考えられる全ての機転と技術を工夫と知恵に変え、粘り強い運用と管理で乗り切ったことは、ただただ、すごいの一言です。

 「はやぶさ2」は来月30日に種子島から打ち上げられるのですが、予定通りにいけばC型小惑星に到着するのは2018年半ばで、1年半ほど小惑星に滞在して2019年末頃に小惑星から出発、そして2020年末頃に地球に帰還する予定だそうです。

 様々なアクシデントも起こりうるのでしょうが、絶対何とかするという一念は「あきらめない大切さ」、そして一人ではできないことをチームワークで解決する力は「執念」をも生み出すんじゃないのかな。是非、今回もそうであって欲しいです。

 これらを僕たちに置き換えれば、子どもの変化に気づかなければ始まりません。予見しなければダメですね。

 「心配していたことが起こってしまうのは三流、心配していたことは起きないのだけれど、予想もしていなかったことが起こるのは二流、一流の人は何も起こらない」とは、小惑星探査プロジェクト「はやぶさ」を完遂したマネージャーの川口淳一郎さんの言葉。
 一流にはなり得ないとしても、そこに近づく努力はしないとね。心配もしてないというのは論外です!

 「はやぶさプロジェクト」に比べて足柄小がやっていることはまだまだちっぽけなことですが、「最後まであきらめない」「死に物狂いの執念」は共通していてほしい。足柄小の児童・職員はこの「はやぶさ」から多くを学んでほしいんです。そして、今回のプロジェクトについてもその動向をしっかり見守っていて欲しいと思います。

 ところで、三菱重工飛島工場って名前がいいですね。いかにも飛んでいくぞとという感じで・・・飛島村、素敵な名前です。

10月10日 前期終業式での校長の話

10月10日 前期終業式での校長の話

今日は前期の終業式を行いました。

先日の小田原・足柄下地区児童生徒科学展入賞者の表彰を行った後、
2年生と3年生の代表生徒から、前期を振り返っての感想の発表がありました。

 「ミニトマトの栽培を一生懸命がんばりました。」
 「私は算数をがんばり、計算が楽しくできるようになりました。」
 「これからも、あきらめないでがんばり続けたいと思います。」
と、二人とも背筋を伸ばし、しっかりとした声で自分の意見を発表していました。

聞いていて、子どもたちのがんばっている姿が目に浮かんできました。

その後、私からは次のような内容を話しました。

おはようございます。
今日で平成26年度の前期が終了します。
4月からの半年間があっという間に過ぎました。
学校でのいろいろな活動を通して、みなさんは少しずつ成長してきました。

始業式に、目標は二つ持つとよいと話しました。
一つ目は、野球やサッカーの選手になりたい、ケーキ屋さんになりたいといった
大人になったらの大きな目標のことです。
もう一つは、算数の成績を伸ばしたい、逆上がりができるようになりたいという
がんばればできる具体的な目標です。

みんなの目標はどうでしょう? 目標に近づいていますか?

前期の終わりの日にもう一度、年度初めに自分が思っていた目標や計画がどこ
までできているのか確かめてください。
そして、どうしたら目標が達成できるか工夫してください。

よくみなさんも、「わからない、できない」といいますね。
でも、「わからないこと、できないこと」をなぜわからないのか、なぜできないのかを
証明するのは大変難しいです。

それよりも、どうしたらわかるのか、できるのかを考え工夫することの方が
よっぽど簡単です。

どうしたら目標に近づくのか、どうしたらよりよくすることができるのかについて、
是非、考え工夫してください。
考え、工夫する習慣が身についてくると、物事を前向きに考えられるようになります。

今日は通知表も渡されます。
担任の先生方が、みなさんの学校での様子をコメントしています。
通知表をしっかり読んでください。
そして、学校生活や学習についてもしっかり振り返りをしてくださいね。

のこりの半年間で、自分の目標をしっかり達成してください。
後期のがんばりを期待しています。

夏目漱石と「はやぶさ2」

夏目漱石と「はやぶさ2」

三菱重工業と宇宙航空研究開発機構(JAXA)は10月7日午後2時16分、鹿児島県の種子島宇宙センターから、静止気象衛星「ひまわり8号」を搭載した国産ロケット「H2A」25号機を打ち上げました。

昨日の台風18号も日本各地に甚大な被害をもたらしましたが、「ひまわり8号」では台風の中心付近の風向きや風速をこれまでより詳しく捉えられるため、進路の予報の精度も向上すると期待されています。

日本のロケットは歴史は、戦後初の実用ロケット研究として昭和20年代末の糸川英夫博士のペンシル型ロケットに始まります。
その後、日本初の人工衛星「おおすみ」が打ち上げに成功したのは、僕が小学校を卒業する一月ほど前の1970年の建国記念の日でした。「おおすみ」は人工衛星打上げ技術の習得と衛星についての工学的試験を目的として打ち上げられ、電離層や宇宙線などについての科学実験を目的に打ち上げられたのは翌71年9月の「しんせい」でした。
77年7月には気象観測を目的に「ひまわり」が打ち上げられます。その「ひまわり」も今回で8代目と云うことになります。

今年の11月30日13時24分48秒に種子島宇宙センターから、「ひまわり8号」と同じH2Aロケット26号機で「はやぶさ2」が打ち上げられます。

JAXAのホームページでは、
 「はやぶさ2」では「はやぶさ」で培った経験を活かしながら、太陽系の起源・進化と生命の原材料物質を解明するため、C型小惑星「1999 JU3」を目指します。
 太陽系の起源や進化を知るためには、代表的なタイプであるS型、C型、D型の小惑星を調査する必要があります。
 「はやぶさ2」が目指すC型小惑星はS型小惑星のイトカワと比べるとより始原的な天体で、同じ岩石質の小惑星でありながら有機物や含水鉱物をより多く含んでいると考えられています。
 地球をつくる鉱物、海の水、生命の原材料物質は、太陽系初期には原始太陽系星雲の中で密接な関係を持っていたと考えられており、始原的な天体であるC型小惑星から採取したサンプルを分析し、太陽系空間にあった有機物や水がどのようなものであったのか、またどのように相互作用し共存してきたかを探ることで、生命の起源にも迫ることができると期待されています。

と説明しています。

科学の進歩はとどまるところを知りません。
夏目漱石は内田百間との会話の中で、「科学は進歩しているけれど心配だ」、「科学の進歩こそが私たちの不安の原因だね」といってます。それに対して百間がこたえた後、さらに漱石は「止まることを知らない科学の進歩に私たちは翻弄されるだろう」というんです。百年近くも前の文豪が、時代の先見性を持っているんです。

コンピューターやロボットが意思を持つ時代も、近い将来やってくるかもしれません。4月に小田原城銅門で行われたコンピューターとトップ棋士との将棋対決「電王戦」でも、コンピューターが勝利しましたね。2003年の未来からやってきた「アトム」の世界に、現代の科学は限りなく近づいているのです。

今週はノーベル賞の発表もありますが、科学技術は平和利用を前提に進歩していただきたいものです。

十三夜の月

十三夜の月 
 
 10月6日(月)は十三夜の月です。そこで本日は月にまつわるお話しです。
 中秋の名月を鑑賞することは中国から伝わってきました。奈良時代にはすでに宮中などで月見の宴を開いていたと歌集や物語に書かれているそうです。また、庶民の間では、月を神聖なる神としてあがめ、農民は秋の収穫物を供えて五穀豊穣を祝い感謝する祭りをしていました。

 中秋とは旧暦の秋(7・8・9月)の“真ん中の日”を指す言葉で旧暦8月15日のことです。月の満ち欠けによって暦を作っていた太陰暦(旧暦)では、7・8・9月を秋としていていました。その真ん中の8月15日を中秋といいます。秋は空が澄み渡り、月の高度もほどよく眺められる良い季節なので、月を楽しむ習慣が継続しているのでしょう。是非、月を愛でる余裕を持ちたいですね。
 今年の十五夜は9月8日でした。スーパームーンが話題になりましたね。

 中秋の名月は「十五夜」と呼ばれるのは有名ですが、旧暦9月13日の夜を「十三夜」と呼んで、十五夜の次に月を鑑賞する日になっています。十五夜はまたの名を「芋名月」、十三夜のことを「豆名月」「栗名月」と呼び、どちらか一方の月見だけをするのは「片見月」として嫌われていたんだそうです。

 お月見といえば、お月様に兎が餅をついている姿が見えるか目を凝らしてみたことがありますが、月に兎が住んでいるというのは実はこれまた中国人の発想なんです。何故か月に住む兎はみんなオスばかりだそうです???

 また、十三夜の月見は日本独特の風習だそうで、一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代(延喜十九年:西暦919年)に開かれた観月の宴が風習化したものとも言われています。中秋の名月の後なので、「後の月」と言われたり、「小麦の名月」と呼ぶ地方もあります。これは旧暦九月十三日の晩のお天気で、翌年の小麦の豊作、凶作を占う習慣から来ています。十五夜はあまりすっきりしない夜空であることが多いのに対し、十三夜の夜は晴れることが多いようで、「十三夜に曇り無し」という言葉もあります。今年は10月6日(月)です。

 十三夜に関連しては、井上陽水の曲に、「神無月にかこまれて」ってのがあります。学生時代の好きな曲の一つで、よく歌ったものでした。

  人恋しと泣けば十三夜 月はおぼろ 淡い色具合
  雲は月を隠さぬ様に やさしく流れ
  丸い月には流れる雲が ちぎれた雲がよくにあう

  風がさわぐ今や冬隣り 逃げる様に渡り鳥がゆく
  列についてゆけない者に また来る春が
  あるかどうかは誰もしらない ただひたすらの風まかせ

  神無月に僕はかこまれて 口笛吹く それはこだまする
  青い夜の空気の中に 生きてるものは
  涙も見せず笑いも忘れ 息をひそめて冬を待つ

 「神無月」までには少し時間がありますね。秋の夜長をうまく活用してください。月見で一句というのも風流ですが・・・僕はもっぱら月見で・・です

<おまけ>10月8日は『皆既月食』がみられます。部分食の始まりは18時14分頃、食の最大は19時54分頃、部分食の終わりは21時34分頃です。
 地球と月は太陽の光を反射して輝く天体です。地球(月)にも太陽の光による影があり、太陽とは反対の方向に伸びています。この地球の影の中を月が通過することによって、月が暗くなったり、欠けたように見えたりする現象が「月食」です。月食は太陽-地球-月が一直線に並ぶとき、満月のときだけに起こります。でも黄道と白道の関係とかがあり、常に起こるわけではありません。
自然界には不思議がいっぱいです。



リニア開通の夢〜新幹線開業50周年の年に

リニア開通の夢〜新幹線開業50周年の年に

先日、リニア中央新幹線の開業を目指すJR東海が山梨のリニア実験線で報道向けの試乗会を行ったとのニュースを見ました。
L0系車両は最初はタイヤで走り、時速160キロを過ぎると車体が磁力で浮上し
時速500キロで走るのだそうです。
11月には一般向けの試乗会も行うとのことですから、興味のある方はJR東海のホームページをご覧ください。

リニアは2027年に名古屋までの開通を目指すそうです。大阪までは2045年の開通だそうです。
僕も運がよければ大阪まで1時間で行けるリニアに乗ることができるかもしれません。
コストや環境問題等様々な課題があるのでしょうが、実現すれば技術大国日本の面目役如といったところでしょうか。

僕が小学校に入学した年の昭和39年10月1日に新幹線は開業しました。
「夢の超特急」と云われたひかり号、こだま号とも当時の小学生のあこがれの的でした。
東京−大阪間を3時間15分で結ぶ新幹線は、まさに日本列島を距離・時間的に短縮しました。余談ですが、「こだま」は東海道線の特急の名前がそのまま使われたのでした。

小田原は新幹線とは縁の深い場所です。
東海道新幹線の建設時に旧国鉄が東京大阪間全線に先駆けて綾瀬−鴨宮間に試験用区間を設け、鴨宮基地がおかれたのでした。ここで走行試験や乗務員養成が行われました。
関係者以外立ち入り禁止と云うことで一般には公開されていませんが「新幹線発祥の地」の記念碑が開業10周年目に当たる74年に鴨宮の新幹線の線路脇につくられました。僕は写真でしか見たことはありません。

今年は50周年と云うことで、記念イベントもマロニエ等で行われます。
小田原高校でもOBが走行試験時から新幹線を運転していた関係で、乗務日誌などの寄贈を受け5月に展示を行いました。
また、NHKでも特集を組みますので是非ご覧ください。

「新幹線を作った男〜島秀夫物語」という本があるのですが、その新幹線の父と云われる島さんのもとで一緒に新幹線の仕事をしていた人物が血縁におります。小学校入学前の僕は、祖母に連れられて東京の永福の自宅へ何回か行ったのでした。ご当人も100歳近くになっていおりますが、機会をつくって往時の話を聞かせていただければと思ってます。また、リニアについての感想も是非聞いてみたいです。

技術の粋を集めたリニアに、今の小学生もあこがれや夢を持って欲しいものです。


シャトル後継機決定

シャトル後継機決定

昨日、スペースシャトルに代わる宇宙船が「CST100」と「ドラゴン」に決定したとの報道を知り、小学生最後の夏が鮮やかによみがえってきました。

僕には忘れられない夏がいっぱいあるんです。
きっと皆さんにもそんな夏があると思うんですが・・・

松任谷由実の曲に「未来は霧の中に」というのがあって、その中で
 ♪ある日目覚めるとテレビジョンには 月を歩いてる飛行士がいた
  私は13 初恋なくして もう 恋はみんな同じ
  そのうち誰かが火星に降りても もう愕かないでしょう♪
とうたいます。

45年前のあの日、1969年7月21日、11歳の僕は近所の食堂でお昼にカレーライスを食べていた。食堂のテレビには本当に月を歩いている飛行士がいたんです。

皆さんもご存じだと思いますが、
「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」の名言。「静かの海」に着陸し、人類で初めて月面に左足で一歩を踏んだアポロ11号アームストロング船長の言葉です。17号までのアポロ計画で途中帰還した13号を除き6回、月面着陸に成功してます。
翌年の大阪万博では「月の石」見たさに、アメリカ館の長蛇の列に僕は並んだのでした。(そこでカメラをなくした・・・トホホ)

11歳の僕は“初恋なくした”かどうかは忘れました(直近のことさえわからないことが多くなってきてます)し、天文小僧でもなかったんですが、宇宙の神秘性や不思議に触れ、多くの夢を抱いたのでした。

  
 “そのうち誰かが火星に降りても もう愕かないでしょう”

そんなことはありません。
火星では「キュリオシティ」が探査を行い、初めて大地を掘削し、採取した岩石の成分を分析。火星がかつて生命が存在しうる環境だったことを突き止めるなど大きな成果をあげています。
近い将来、人類が火星に立つ日が来るかもしれません。
好奇心をそそられますね。

月に立ったアームストロング船長は一昨年夏に亡くなりました。82歳だったそうです。
シャトル後継機決定の報道に、11歳のころに抱いた夢はないにしろ、
“感受性と好奇心と挑戦する意欲を失った大人にはならないぞ!”
と再確認した、夏ばて気味の僕でした。


いわさきちひろ没後40年の年に 「大人になること」

いわさきちひろ没後40年の年に「大人になること」

この夏、信州に山歩きに行ったことは前回お話ししました。
あまりにも激しく降る雨に予定を変更して「いわさきちひろ美術館」を
久しぶりに訪れてみたのでした。
子どもをテ−マにした作品は、
色あせることなく優しくその場にいる人々を包みこんでくれました。

いわさきさんに最初に出会ったのは中学校の図書館でした。
漫画好きの僕が絵本を手に取るなんて滅多にないことですが、
その画風に引きつけられ手にしたのでした。
余談ですが、60年代後半から70年代初頭にかけてはスポ根全盛期で、
巨人の星、あしたのジョー、タイガーマスクなどが男子の人気をさらってました。
女子はチッチとサリー、エースをねらえ、パタリロなどを読んでました。

いわさきさんは74年8月に亡くなるのですが、
「大人になること」という一文が今も忘れらません。
著作権等の問題があるので全文を掲載はしませんが、
ネットで検索していただけるとすぐに見つかります。
自分の半生を振り返っているのですが、終末は次の文で結ばれています。

  大人というものはどんなに苦労が多くても、
  自分の方から人を愛していける人間になることなんだと思います。

素敵な言葉です。
そんな大人になりたいですね。

♪人生楽ありゃ苦もあるさ♪

♪人生楽ありゃ苦もあるさ♪

一定の年齢以上の方なら、水戸黄門の主題歌はご存じかと思います。
BSでは西村晃さんの黄門、あおい輝彦さんが助さん役を演じている作品が
再放送されています。今から25・6年前の作品でしょうか。
僕が子どもの頃は東野英治郎さんが黄門でした。
主題歌は山上路夫さんが作詞しています。

この夏、信州で山歩きをしてきました。
あいにく天候に恵まれず絶景を楽しむことはできませんでしたが、
シャジンやアキノキリンソウなどの高山植物が疲れた体を癒やしてくれました。
最近は山岳関係の番組を好んで視ているのですが、視ているだけで山に登った気になります。苦労せずに山を征服した気になるから不思議です。

“若いときの苦労は買ってでもしろ”
そんな境地になるのは、自分がそれなりの年齢になってからのことです。
バーチャルの世界が日常の一部となっている今の児童・生徒を含め若い人にはなかなか通じにくいことだと思います。

子どもの生活体験・経験不足、社会性の欠如が指摘されてから久しいですが、
高度に利便性が発展した現代社会において
子どもに積極的に苦労をさせろとはいいませんが、少し我慢をさせてみることも
時には必要なのだと思います。

人生の荒波は、なければそれに越したことはありません。
しかし、額に汗し、苦労して登った者でなければその達成感を味わうことはできません。必ずしも苦労したからといって絶景というご褒美にありつけるわけではありませんが・・・・むしろ限られた日程で登るときはご褒美にありつけないことの方が多いようです。

今、子どもたちは運動会の練習に取り組んでいます。
上級生が下級生に丁寧に指導しながら練習しています。
運動が苦手な子もいるのでしょうが、みな汗をかきながら一生懸命です。

水戸黄門の主題歌は、
  ♪人生楽ありゃ苦もあるさ 涙の後には虹も出る
   歩いてゆくんだしっかりと 自分の道をふみしめて♪
と歌ったあと3番では、
  ♪人生涙と笑顔あり そんなに悪くはないもんだ
   なんにもしないで生きるより 何かを求めて生きようよ♪
と続きます。

1番の ♪自分の道をふみしめて♪ 
これもなかなか難しいですね。
“道”については、いずれまた別の機会にお話ししたいと思いますが、
みな同じ道を歩くのではありませんね。
みな違っていいのです。違って当然です。
その道を見つけるためにも、少し我慢をし、少し挑戦し、ためらいながらも一歩を踏み出してみることが大事です。

歌の話ばかりで恐縮ですが、吉田拓郎は「人生を語らず」という曲のなかで、
  ♪わかり合うより 確かめ合うことだ 季節の巡る中で 今日を確かめる
   超えるものは すべて手探りの中で 見知らぬ旅人に 夢よ多かれ
   超えていけそこを 超えていけそれを 今はまだ人生を語らず♪
と歌います。

バーチャルの世界だけでなく、
現実の世界に疑問を持ちながら一歩を踏み出して欲しいものです。
失敗したっていいんですから・・・・泣くのがいやなら さあ歩け!?

夏休みの作品に思う

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夏休みの作品に思う

各学年の教室や廊下に子どもたちの自由研究、読書感想文、
書などの夏休みの作品が展示されています。

どの作品も力作揃いでそれぞれの感性が光ります。
テーマ設定や視点の置き所に、“なるほど、そうなんだ”と驚かせられてます。
だんだん齢を重ねてくるとものの見方が平面的になってくるようで、
子どもたちの感性に刺激を受けっぱなしです。

五木寛之氏は著書「人間の関係」のなかで、
人間は四つの段階をへて変わっていくといってます。

  子供から少年時代にかけては「おどろく」ことで成長します
  やがて「よろこぶ」時代をすごす
  そして ある時期から「かなしむ」ことの大切さに 気づくようになってくる
  しめくくりは「ありがとう」という世界ではないか

人は四つの段階をへるごとに、
目が向き心に留まるものが変化してゆくのかもしれませんね。

子どもや少年時代まっただなかの本校の子どもには、
「おどろく」こと、そして「よろこび」に意識を集中して、
毎日を過ごして欲しいものです。

私は「ありがとう」と感謝しながら毎日を過ごしたいと思います。

9月1日 全校朝会

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足柄小に元気な子どもたちが戻ってきました。

全校集会で校長は夏休みの振り返りと、9月からの生活についての話をしました。

皆さんおはようございます。
今年の夏は不安定な天候が続きましたが、それぞれにとって充実した夏休みを送ったことと思います。大きな事故もなく、日に焼けた元気な皆さんの顔を見られたことを嬉しく思います。

7月の集会のときに、夏休みに向けて心がけて欲しいことを5つお話し約束しました。
 1つ目は、健康であること。
 2つ目は、悪いことをしないこと。
 3つ目は、継続してできる何かを頑張ること。
 4つ目は、家の手伝いをすること。
 5つ目は、宿題をきちんとすること。 
そして「自分の成長に 挑戦する夏休み」ととらえて、甘やかすことなく、積極的に自分自身を伸ばして欲しいとお話ししました。

校長先生との約束は守れたでしょうか? 
守れた人も、少し守れなかったという人もいると思います。
今日からいよいよ9月です。9月は運動会もあり、前期のまとめの月でもあります。引き続き「自分の成長にさらに挑戦」して欲しいと思います。

さて、「笑顔で挨拶」を交わすことを皆さんで心がけていますか?今朝も校門で挨拶をしていましたが、挨拶ができない、あるいは挨拶はできるのですが笑顔がない人が見受けられました。

挨拶ができる、明るく振舞える、というのは相手側に立って考えられるということです。そこから工夫ができるし、行動もできる。さらに笑顔は相手の心や気持ちを和らげます。挨拶というのは本当に大切なんです。

そこで、皆さんにお願いがあります。
この9月からは、「自分の成長に挑戦」することに「笑顔で挨拶」を加えて欲しいと思います。 

勉強や学校行事をはじめ、学校の外の世界へでも積極的に挑戦・チャレンジする、「笑顔で挨拶」ができ、「思いやり」の心を大切にし、友達との接し方も考えてもらって、足柄小パワーが爆発すること、足柄小の凄さを見られることを楽しみにしています。

8月29日

 さらば夏の日

自分にとって四季の中でも夏は活動的になれる季節だ。
その2014年の夏が終わる。
この夏、自分を成長させることができたであろうか?

今年の夏が終わる。来年まで夏はおわづけだ。
時には振り返ることも必要だけど、しっかり前を向いて進んでいきたい。

吉田拓郎の曲に「消えていくもの」というのがあって、
この時期になるとよく思い出し口ずさむ。

 僕が完璧な大人になった今
 いろんなもんが形変えて消えていった
 思い出という大げさな感情ではなく
 あの人がいて風に吹かれたあの日の景色
 そういう中でじりじりしながら成長してたんだ
 消えていくんだネ 消えてしまったネ
 時が流れていく 時が移っていく
 少し泣きたくなる ちょっと悲しくなる
 少し泣きたくなる ちょっと淋しくなる

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