学校での子どもたちの様子をお伝えします。

最後のブルートレイン

最後のブルートレイン

 この3月のダイヤ改正で、北陸新幹線の開業とともにブルートレイン(ブルトレ)の定期運行が廃止されます。現在運行されている上野〜札幌間を結ぶ「北斗星」が、3月13日発をもって廃止され、青森〜札幌間の寝台急行「はまなす」も不定期運行のようです。車両の老朽化や2016年に開業予定の北海道新幹線(新青森〜新函館北斗間)の試運転などが始まり、列車の運行が難しくなるためとの理由です。
 寝台列車は東京〜出雲市間を結ぶ「サンライズ出雲」と東京〜高松間を結ぶ「サンライズ瀬戸」のみとなります。しかし、現在の「出雲」も「瀬戸」もブルトレではありません。

 上野〜札幌間を約16時間かけて結ぶ「北斗星」は、青函トンネルが開業した 1988年に本州と北海道を結ぶ寝台特急としてデビューしました。個室中心の設備やフルコースディナーを提供する食堂車など豪華寝台特急として話題になりました。
 さらに走る豪華ホテルともいわれ、大阪〜札幌間を日本海側経由で結ぶ寝台特急「トワイライトエクスプレス」も3月12日発をもって廃止です。1999年デビューのカシオペアは不定期運行で残るようです。

 僕がまだ小学校高学年から中学生の頃、ブルトレは憧れの的で、電気機関車は時代と共に変化しますがEF58、EF65が20系、14系客車を牽引している姿を真鶴駅や根府川駅近くの鉄橋(白糸川鉄橋)によく見に行きました。EF66もブルトレを牽引しているのですが、貨物を牽引していた印象が強いです。

 最初に東京発着のブルトレに乗ったのは中学卒業後の春休み。19時30分、熱海駅発の「富士」で弟と二人、周遊券を手に日豊線経由で西鹿児島まで行ったのでした。三段寝台で約25時間の旅でした。西鹿児島駅は今はないのですが、駅で駅弁を買い、すぐに急行「かいもん」で博多に向かいました。一週間ほど宿に泊まることなく、九州電車の旅を満喫したのでした。当時は博多〜長崎間に普通寝台(急行や特急ではなく、寝台券さえあれば乗れました)も走ってました。帰りは「みづほ」で早朝の熱海駅まで帰ってきました。

 はやぶさ、あさかぜ、ふじ、さくら、みずほ・・・皆姿を消しました。特急ではないのですが、「銀河」「出雲」「瀬戸」(出雲・瀬戸は後に特急になります)などの寝台急行も走ってました(大阪万博は急行瀬戸で帰ってきました)し、東京〜西鹿児島間を急行「桜島・高千穂」も走ってました。全車両自由席で寝台車はついていません。小倉から「桜島」は鹿児島本線の博多・熊本を経由し西鹿児島まで約25時間40分、「高千穂」は日豊本線の大分・宮崎を経由し28時間20分ほどかかっていました。小田原には午前11時23分頃に停車してました。東京から門司までの直流区間はEF58が、九州の交流区間はED73、75、76が牽引してました。

 最近の旅の交通手段はもっぱら自動車で、鉄道を使うことはめっきり少なくなりました。青い車体で走るブルトレが姿を消す、これも時の流れなのでしょうが、ノスタルジーだけでなく、寂しい感がしてなりません。「夜行列車」や「夜汽車」という言葉もやがて使われなくなるのでしょうね。また、昭和が遠くなったような気がします。

 EF58、EF66、ED75とナハネフ22形式客車(あさかぜ最後尾展望車両)は大宮の鉄道博物館に展示されています。

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