小田原市小学校体育大会の早朝練習が始まりました。7:45〜8:05まで、前期終業式と後期始業式の日を除いて、体育大会前日の10月22日まで行われます。先生方の他にボランティアで練習を手伝ってくださる方も含め、多くの人が6年生の練習に付き添っています。
各種目の選手選考がありますが、選ばれなくても各自のめあてを持って、取組んでほしいと、体育主任でもある担任からのメッセージを、学級だよりから引用します。
私たちが行っている活動には全て目標があります。毎時間の授業にも朝の会にもそうじ当番にも、そしてこれから出場する体育大会にも目標があります。子どもたちもそれぞれの目標を持って体育大会へ向かっていきます。100m走で1位を取る。という目標の子もいるでしょうし、小田原小唄を成功させよう。という子もいるかもしれません。その目標を達成しようと一生懸命努力します。しかし、この努力が必ず報われるとは限りません。むしろ報われないことの方が多いのが人生かもしれません。では、この目標が達成されなかったならその努力や営みは価値がなかったということでしょうか・・・
例えば山登りを考えてみますと、山登りの目標は頂上に立つことです。頂上を目指してがんばるわけです。しかし、頂上を目前に天候が急変したり、仲間の体調が悪くなったりなどで、登頂を目前にして引き返さなければならない場合もあります。そうなった場合、この山登りの価値は『無』であったということでしょうか。
そんなことはありません。逆に目標を達成しようと、天気の良い日にヘリコプターで山頂に向かい縄梯子で降り立ったとします。目標は達成されましたが山登りの価値はどうでしょう・・・
目標が達成されなくても、素晴らしい価値のあることはたくさんあると思います。
それは目標を達成しようと必死に努力する過程で感覚、協力、達成感等々人間として生きる力をたくさん身につけていくからです。
この人間として生きる力を身につけることこそ、最終的な目的ではないでしょうか。
例え目標は達成されないことがあっても目的だけは達成したいと思うのです。
体育大会の練習が始まりました。