今日も教室から見える石垣山

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石垣山は、もともと笠懸山と呼ばれていましたが、豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて包囲し、その本陣として総石垣の城を築いたことから、石垣山と呼ばれるようになりました。
その総石垣の城が石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるようになったのは、豊臣秀吉がのべ4万人の力を使って山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、そして一夜のうちに周囲の樹木を伐採したところ、それを見た小田原北条氏は士気を失ったことから、そう言われるようになりました
また、豊臣秀吉は一夜城に淀君や千利休を呼び茶会を開いたそうです。そんな歴史がある石垣山が今日も教室から見えます。
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