本校の学区の由来についてご説明します。

豊川小学校は、桑原、成田、飯泉の3地区から学区が構成されています。
ここでは、豊川の郷土史から、それぞれの地区の地名の由来についてご紹介します。

小田原市に至る経緯

・豊川小学校の学区は、そのほとんどが旧豊川村に含まれる。その豊川村は、明治22年町村制施行の際、当時の桑原村、成田村、飯泉村の三村が統合して生まれた。
・この地は鎌倉幕府が治めた以降、足利、大森、北条、大久保と所管がかわっていった。明治以降は所属する県が、小田原県、足柄県、神奈川県と変わり、現在に至っている。
・60有余年続いた豊川村も、昭和28年9月に公布された「町村合併促進法」に即して、昭和29年7月15日、村の総意により小田原市に編入合併することになった。

学区にある三地区(成田・桑原・飯泉)の地名の由来を次のとおりである。

桑原(くわはら)

桑の木の葉は、蚕のえさになる。昔、おしらさまのご神体は桑の木で作ったということからも、桑の木も神聖な木とされた。桑原は、桑畑があった所であるのとともに神聖な場所でもあったといえる。

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成田(なるだ)

成田は「田ができた」という意味ではない。古代語で「なる・なり」は平地を表す。元来、この地が平坦な地であったようである。いずれにしても、その周辺がかなり古い時代に開拓されたものであるといえる。新編相模国風土記によると文応元年の9月の文書に「相模の国成田庄」と記載されたのがこの地の地名としては最初のようである。

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飯泉(いいずみ)

飯泉の「いい」はお米のことであり、「ずみ」は「積み」のことで、「いいずみ」つまり米倉であったところである。秀吉の小田原攻めの際、この飯泉から酒匂川を渡った所に陣を張った家康が、水を欲して「ああ、いい泉だ」といったのが地名の起こりというのは後世の作り話である。

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参考資料
・「村を語る」豊川村編
・新編相模国風土記
・町名みてある記
・わが町の歴史「小田原」