三の丸学区にある小田原城の説明

学校のすぐ横にある天下の名城「小田原城」を紹介します。

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小田原城(おだわらじょう)は、三の丸学区内にある、戦国時代から江戸時代にかけての平山城で、北条氏の本拠地として全国的にも有名です。江戸時代は稲葉氏・大久保氏が小田原藩を治めました。現在、城跡は国の史跡に指定されています。天守閣は、昭和35年に復興されました。内部は歴史資料の展示施設となっています。3重4階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1822m2となっています。 内部には、甲冑・刀剣・絵図・古文書など、小田原の歴史を伝える資料や、武家文化にかかわる資料などが展示されています。

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小田原城祉公園でも特に目立つ存在である「天守閣」は小田原の人はみんなしっている建築物です。三の丸小学校に行く時はいつも見て登校しています。天守閣をみていると、とても大きくてすごいなと思います。天守閣の上には、しゃちほこがあり、周りには松の木が並び、遊べる広場もあります。天守閣の中は昔の道具・刀などいろいろな展示物が各階に展示されています。

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小田原城址公園には、小さな動物園のようなのがあります。昔はクマや、ライオン、 アザラシもいたそうです。 またウメ子という有名なゾウがいました。小田原城と並ぶ市のシンボルとして、市民や観光客に親しまれたゾウさんでしたが、平成21年9月17日に推定62歳で亡くなりました。ウメ子さんがいた場所には、ウメ子さんの事が書いてある記念のレリーフがあります。

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動物園は、サルだけになりました。さるはおりに入っていて、親ざるが小ざるのせなかについているゴミを取る愛くるしい様子がみられます。

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小田原城祉公園には 松が多くはえています。その中で一番目立っている松が天守閣がある本丸広場にある巨松です。巨松は約400年前の木です。高さは約30メートルあります。大きな松の木の中にそびえ立つ、小田原城は、とてもすてきです。ぜひ、写真に納めてみてください。

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天守閣の近くでは今でも発堀作業が行われております。大きな天守閣のよこで目立ちませんが、ここから新しい発見がみつかるのかもしれません。

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城祉公園内には売店もあり、売店もお城のような色や形をしています。ほかにも小田原城のトイレには、おもしろい工夫がされていて、男子トイレは殿、女子トイレは姫、と書かれているなど細かいところに面白いポイントがあります。

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小田原城は 門がたくさんあります。その中でも常磐木門(常磐木門)は小田原城本丸の正門で、最も大きく強固に造られていました。

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常磐木(ときわぎ)とは常緑樹という意味で、門のそばにあった松が名前の由来だそうです。

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常磐木門に向かう階段の高さや、幅がバラバラなので、歩きづらいのですが、これは敵が攻めてきたときの防御のための工夫だとボランティア協会のガイドさんが教えてくれました。

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小田原城祉公園には、小さい遊園地があります。乗り物は、小学生まで乗くことができる小さい汽車があります。幼い時、みんな乗ったことのある汽車で、楽しい思い出があります。みるだけでなつかしいです。ほかにも動く車やコーヒーカップなどがあります。

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小田原城祉公園には、銅門(あかがねもん)とよばれる門があります。江戸時代初期に作られました。残念ながら関東大震災でくずれてしまったそうです。平成9年に復元され、北条5代祭りなどではここから勇壮な騎馬行列が出発します。また三の丸小学校では、卒業アルバムの、集合写真として使われています。

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キラキラした銅に包まれていて、天井には大きな丸太があり、丸太には細工がほどこされています。門の両側や支えてある石は、違う色の石が積み重なっていて、石がくずれないように木のぼうで、おさえています。また昔のきずが残っていて、歴史を感じます。

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小田原城祉公園には二の丸広場という所があります。ここは「小田原城二の丸御殿」があった場所です。また、三の丸小学校の前身である「城内小学校」があった場所でもあります。

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広場には梅の木があり、春には三の丸小学校の児童が、小田原の名産でもある梅の梅もぎもしました。とった梅は小田原名物の梅干しにしたり、梅ジュースを作ったりしました。

二の丸広場はお堀にかかっている「学び橋」という朱色の橋を渡って入ることもできます。大きな松の木などが数本たっている広場で、子ども達の遊び場所です。また朝には、ラジオ体操をしている人がいる市民の憩いの場所です。それ以外にもおでん祭りや提灯祭り、ツーデマーチの会場などになりお客さんでにぎわう時もたくさんあります。

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これは関東大震災で倒壊した石垣の一部です。関東大震災は小田原城にいろいろな被害をもたらしました。すごく大きい小田原城の石垣が倒壊しているので、そうとう大きな地震だったと思います。

小田原市のHPに掲載されている「小田原城」のHPです。

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