校章

校章

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校歌

土岐 善麿 作詞   平井康三郎 作曲
一 あかるい空に 高くそびえて
  かすみに雲に かがやく富士よ
  やなぎ芽ぶけば さくらさき
  堰おと清く 麦青し
  ああまなぶ よろこび
  われらは 楽し

二 丘にも田にも 黄金みのりて
  風さえ薫る みかんよ稲よ
  めぐるなぎさに ちるは浪
  こぎゆく船の 海ひろし
  ああ進む 世界に
  われらは 立てり
  きそい励み こぞるべし
  われらの 国府津小学校
作詞:土岐善麿(左)・作曲:平井康三郎(右)
作詞家 : 土岐 善麿(とき ぜんまろ)
1885年(明治18年)6月8日 - 1980年(昭和55年)4月15日
日本の歌人・国語学者。東京の生まれ。別号、哀果。
中学時代、金子薫園の「白菊会」に参加。
早稲田大学英文科に進み、島村抱月に師事。窪田空穂・若山牧水の影響を受けた。
3行書きのローマ字歌集「NAKIWARAI」で注目された。ローマ字運動家としても知られる。
のち石川啄木と知り合い、二人で生活派短歌の基礎を作った功績は大きい。
読売新聞入社時の1917年(大正6年)、東京奠都50年の記念博覧会協賛事業として
東京〜京都間のリレー競走「東海道駅伝徒歩競走」を企画し、大成功を収めた。
これが今日の「駅伝」の起こりとなっている。
日本エスペラント学会の理事に選ばれ、また国語国字問題についての著書を出版。
日本放送協会の放送用語並発音改善調査委員となるなど、昭和初期には歌人としてよりも、国語の専門家として広く知られていた。
『田安宗武』によって学士院賞を受賞。
早稲田大学にて文学博士号を受け、早稲田大学教授となる。
国語審議会会長に就任。新字・新仮名導入にも大きな役割を果たす。
文部省教材用図書検定調査会長、東京都立日比谷図書館長、日本図書館協会理事長を歴任。
日本芸術院会員に選ばれ、紫綬褒章を受章。
武蔵野女子大学文学部日本文学科主任教授に就任。晩年は杜甫の研究に励んだ。
荻江節「蝉丸」の作詞で、芸術祭賞を受賞。
仏教伝道文化賞・功労賞を受賞。
合唱曲、童謡、社歌、仏教歌、自治体が制定する歌「区歌、市歌など」、校歌などの作詞も数多く手がける。
土岐作詞の校歌は、約280曲が確認されている。

作曲家 : 平井 康三郎(ひらい こうざぶろう)
1910年(明治43年)9月10日 - 2002年(平成14年)11月30日
日本の作曲家。高知県吾川郡伊野町(現:いの町)出身。本名、平井保喜(ひらい やすき)。
父親・惣太郎の影響で、家にはオルガンや蓄音器がある等、音楽的に恵まれた環境で育った。
東京音楽学校(現:東京藝術大学音楽学部)ヴァイオリン科に進学し、ローベルト・ポラックに師事。
同校研究科作曲部でクラウス・プリングスハイムに作曲と指揮法を師事。
東京音楽学校で教鞭を取る傍ら、作曲活動を行い、「平城山」や「スキー」などを作曲。
文部省教科書編纂委員として音楽教科書編纂等に携わる。
NHK専属作曲・指揮者、合唱連盟理事、日本音楽著作権協会理事、大阪音楽大学教授等を歴任。
「詩と音楽の会」を結成。日本の新しい歌曲、合唱曲集の創作活動を行う。
作品は、器楽、声楽(洋楽・邦楽)と広範囲にわたる。
小学校や中学校の校歌も数多く手がけた。
紫綬褒章受章。勲四等旭日小綬章受章。
伊野町名誉町民。よんでん芸術文化賞、毎日出版文化賞を受賞。

本校校歌は、「国府津町立国府津小学校校歌」として、1953年(昭和28年)3月20日に発表された。
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