校長室だより残念ながら私は参加できなかったのですが、職員から「城がとてもきれいになった」「中の展示が分かりやすかった」「学芸員の方の話がよかった」などの感想を聞くうちに自分もどうしても見たくなり、数日後に城門をくぐりました。 改修直後にはテレビ番組でも度々取り上げられていましたが、実際に見ると外観は夏の陽に輝く白い姿がすっきりと美しくて感動しました。また、館内もグラフィックや実物が見やすく配置され、映像による歴史の一コマの再現シーンもあり、小田原の歴史がよく分かるような工夫が凝らされていることに感心しました。 私が一番見たかったのは5階の展示室でした。昔の小田原藩有林の木材も使い、かつての天守に祀られていた「摩利支天像」の安置空間を再現した部屋です。工事に携わった小田原の職人さんたちの様子も映像で紹介されていて、その見事な「技」に小田原の実力を見た思いがし、誇らしい気持ちになりました。 ところで、城内に安置されているこの仏像は、大久保忠朝が小田原への復帰がかなった際に、前任地から持ってきた持仏だそうです。以来、自然災害など幾多の難事に遭いながらも城の歴史が終わるまで天守にあって、小田原を見守り続けてきたそうです。 「天像」といえば、寅さんでお馴染みの「帝釈天」や伊達政宗の幼名にも使われた「梵天」、上杉謙信が深く信奉していた「毘沙門天(多聞天)」などが有名ですが、私はこの摩利支天についてはよく知りませんでした。 元来女神像であるこの仏像は、護身や蓄財などのご利益があるとされ、古くから武士の間で信仰されていたといわれます。楠木正成や毛利元就、前田利家、立花宗茂など、名の知れた武将たちも信仰していたそうで驚きます。歴史好きな私としては、大いに興味をかき立てられます。 歴代の藩主を始めとして小田原藩の人々は、この守り本尊ともいうべき摩利支天像を前にして、平和な日々の暮らしが続くことを心から願っていたことでしょう。 そう考えながらお姿を拝見していると、厳かな気持ちになりました。 |
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