校長室だより机の上に置かれたかわいらしい花を見ると穏やかな気持ちになり、また、心を込めて世話をする子どもたちの姿が目に浮かんできて、自然に口元が緩みます。素敵なプレゼントに感謝です。 学年園でも3年生がひまわりを育てていて、こちらは子どもたちの2倍はありそうな背丈に育ち、大きく華やかな花を咲かせています。(写真右) ひまわりは「向日葵」とも書かれるように、花が太陽の方向を追うように動くことは広く知られていますが、この動きは成長期だけのものだそうで、その時期を過ぎると花は東を向いたままになるのだそうです。驚きました。 名前を聞いただけでも、ギラギラと輝く太陽や大粒の汗、蟬時雨、かき氷などが連想できるこの花の花言葉は、「崇拝」「あこがれ」だそうです。真夏日の中、青空に向かって真っ直ぐに茎を伸ばし、日輪の名にふさわしい花を誇らしげに見せる姿からは生命力や力強さが感じられ、この花言葉も納得できます。 ひまわりの種は昔から油を採ったり、煎って食べたりしてきたそうです。私が小学生だった頃、リスを飼っている友だちがいて、いっしょに餌をあげたりしたのですが、その餌がひまわりの種だったことが頭の中に残っていたためか、煎った種を勧められても口にすることができませんでした。大人になり、「物は試し」と思い食べてみたところ、意外とおいしく、今まで損してきたように思ったことを覚えています。 ところで、夏の花の代表であるひまわりですが、私は「切なさ」も感じます。それは、40年以上も前に作られたこの花と同名の映画を観たことに関係します。この映画は戦争によって引き裂かれた一組の夫婦の胸が締め付けられるような生き様を描いた作品です。物語の終わりの方で、画面一面に映し出されるのがひまわり畑でした。甘美なテーマ曲とも相まって、あの鮮やかなシーンは今でもはっきりと記憶に残っています。また、互いのことを心から思いやりながらも別々の道を歩む二人の姿を見ていると、「あなただけを見つめている」という、この花のもう一つの花言葉も浮かんできます。 もし、この映画を観ることがなかったら、私はひまわりを単に夏の花としか見なかったかもしれません。そう思うと不思議な気がします。 人との出会いはもちろん、1本の映画や1冊の本、1皿の料理などとの出会いは、自分自身の見方を豊かなものにしてくれるように思います。 さて、明日はどんな出会いがあるのでしょうか。 |
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