185名の新入生を迎え、令和6年度がスタートしました。今年度もたくさんの千代中ヒーローが大活躍の千代中学校をよろしくお願いします。

小田原は戦国で1番・・・

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自粛期間中、勤務時間以外に自由な時間が増えたこともあって、数年ぶりに家でゲームをするようになりました。
最近のゲームは凄いですね。技術の進化にすごく驚いています。

先生が最近プレイしているのが

『信長の野望 大志』

KOEIから発売されている人気シリーズの最新作で、プレイヤーは戦国大名の一人となり、全国統一を目指すゲームです。
なんと先生が生まれた年に第一作が発売されて、戦国時代大好きな先生はほとんどのシリーズをプレイしています。

今回、最新作でプレイしたのは「小田原城主 北条氏康」!
小田原から全国統一を果たしました(笑)

その中で千代中生のみんなに、というより小田原市に住む皆さんに知ってもらいたいことがゲームで出てきました。
各大名に「志(こころざし)」という特殊能力があり、それが領国経営や兵隊の強さなどに影響していきます。

例えば
織田信長なら「天下布武(てんかふぶ)」⇒兵隊の攻撃力アップなど
豊臣秀吉なら「立身出世(りっしんしゅっせ)」⇒兵隊を安く雇えるなど
徳川家康なら「天下泰平(てんかたいへい)」⇒倒した相手が仲間になりやすいなど

という具合なのですが

小田原の戦国大名 北条氏康は「禄寿応穏(ろくじゅおうおん)」
意味は「民の禄と寿はまさに穏やかなるべし。領民の暮らしは我らが守る」

つまり、領民の幸せを守ろうというものなのです。北条五代全員それを受け継いでいくことができます。

小田原は戦国時代
年貢が「四公六民」(収穫された米の四割を支配者、六割を百姓に分配する。この頃、他国では五公五民が大半で、江戸時代も五公五民です)
徳川吉宗が実施したことで有名な「目安箱」が戦国時代になんと設置されていたのです。つまり実は吉宗は北条家の政策をマネしたのです。

信長、秀吉、家康などが主人公の歴史ドラマでは、世の中の流れが読めずに刃向かい戦国の最後に滅ぼされる大名という描かれがちな北条家ですが、それが真実なのでしょうか。本当はあのようにして抵抗したのも、領民の暮らしを守りたいという思いからだったのではないかと先生は思ってしまいました。事実、小田原はその後年貢が厳しくなり領民は北条家の滅亡を悲しんでいたという史料も残っています。

小田原は現存する史料から想像すると、戦国時代に領民にとっては最も暮らしやすい街だったのではないでしょうか?
大阪の人は秀吉を誇ったり、愛知の人は信長、家康をアピールしたりする印象があります。皆さんも戦国時代の地元トークとかになったら
「北条家は日本一領民を大切にしていたんだぞ。すごい戦国大名だったんだぞ」
なんて誇ってみるのもよいのではないでしょうか。

6月1日(月)、皆さんに会えるのを楽しみにしています。残りの自粛生活も有意義にお過ごしください。

3年5組担任 社会科 剣道部顧問 美本大輔



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