185名の新入生を迎え、令和6年度がスタートしました。今年度もたくさんの千代中ヒーローが大活躍の千代中学校をよろしくお願いします。

3年保健体育<体育・スポーツの歴史>

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 6月1日の学校再開まで、残り4日となりました。課題の進捗状況はいかがですか?
 今日は体育とスポーツの歴史について少しふれておきます。体育という言葉は、Physical Education として、1876 年(明治9 年)に近藤鎮三(1849 年〜1894年)によって紹介されました。その後、「身体に関する教育」→「身体之教育」→「身体教育」→「身教」→「体育」に至りました。
 実際に、学校教育で「体育」 という言葉が使われたのは、その後70 年以上を経たの1947 年(昭和22年)と成っています。太平洋戦争終戦後にアメリカの占領政策の一つとして学校体育指導要綱が定めら、「体練科」が「体育科」として改められました。
 運動に関する教科としては、時代ごとで、遊戯、体操、教練、体練といった用語で位置づけられていましたが、体育という言葉は用いられませんでした。体育に変わるまで用いられていた 「体練」 は、戦時の体制にともなって作られた言葉であり、「教練」「体操」「武道」の三分野からなる科目となっていました。この体練が学校教育の体育として位置付けられました。
 体育は明治時代、富国強兵のための兵士育成という役割からスタートしたのに対し、現在の体育は、「体育や保健の見方・考え方を働かせ、課題を発見し、合理的な解決に向けた学習過程を通して、心と体を一体として捉え、生涯にわたって心身の健康を保持増進し豊かなスポーツライフを実現するための資質・能力の育成」を目指します。
 スポーツは、一般的に神事と大きな関わりがあり、五穀豊穣と天候、病等に際しての踊りや力試しを奉納されたことが発祥とされています。やがて、踊りはダンスとなり個から集団へ発展し、力試しも個の能力から対決へと発展して行きました。どちらも演じること試すことは奉納するたで披露するものではありませんでした。人々の貧富の差が出始まると富める者が報酬を与え、踊りと対決を行わせるようになりました。ここで、見せる者と見る者にスポーツは大きく発展していきます。両者の関係は形が少し違いますが現在まで続いています。このような発展の経過からスポーツは集団と力の要素を戦争という出来事に利用され、戦争が終着すると、そのエネルギーを祭典としてのオリンピックに生まれ変わりました。スポーツは歴史的に暗い部分と明るい部分を担ってきたと言えます。<参考文献は大塚正美さんの「体育の歴史と役割」です>
 さて、現代生活において、スポーツにはどんな意義がありますか?多様なスポーツへの関わり方を、「みる・する・支える」という観点から振り返ってください。
 6月1日からの授業では、新しい生活様式での体育授業の受け方を、オリエンテーションしてからスタートしていきます。よろしくお願いします。

 保健体育科 伏見 
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学校行事
5/5 こどもの日
5/6 振替休日
5/7 オアシス運動、修学旅行説明会
5/8 各種委員会・学年委員会
5/9 眼科検診
5/10 交流会係打ち合わせ