学校での子どもたちの様子をお伝えします。

四方山話

四方山話

ふたご座流星群を見ようと毎晩夜空を眺めているのですが・・・
15日朝3時頃が極大ということで、午前1時半ごろから空を見上げていたのですが、本日も雲に覆われていて見ることはかないません。先週の金曜日は、雲の合間から星空がのぞけていたので30分ほど眺めていました。その後、雲に覆われ流星を見ることはかないませんでした。
8月の「ペルセウス座流星群」の二の舞にならぬよう期待しながら、もう暫く粘ってみます。

今日は星になった方のお話をしようと思います。
今年も、多くの方が鬼籍に入りました。

作家では、野坂昭如氏、陳舜臣氏、宮尾登美子氏・・・
漫画家では、水木しげる氏、平井和正氏・・・
スポーツ界では、北の湖敏満氏、上田昭夫氏、高橋一三氏、斉藤仁氏・・
みな、それぞれの分野で活躍された方々です。
思いつくままに少しお話ししますね。

野坂さんは、1970年代によくマスコミを賑わしていた感があります。五木寛之氏との「対論」なども読みました。「マリリンモンローノーリターン」のさびの部分は今でも鮮明に覚えてますし、「みんな悩んで大きくなった・・・」のCMも忘れられません。

平井和正氏は、僕らの世代のヒーローのひとりである東八郎、そうです「8マン」の作者です。少年マガジンに連載されていました。
当時、漫画雑誌は月刊誌と週刊誌があり、月刊誌には付録がついていました。週刊誌は40円位だったと思います。
「8マン」はマガジンよりもテレビの方が印象が強いです。

水木さんの漫画も「墓場の鬼太郎」をはじめよく読んでました。テレビでは「ゲゲゲの鬼太郎」として放映されました。
また、「悪魔くん」「河童の三平」がアニメではなく、実写(もちろん白黒)でおもしろかったです。魔法陣を前に「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり」と呪文を唱えるとメフィストが登場しました。数学で魔方陣を扱ったりすると、「悪魔くん」を思い出してました。

このところラグビー人気が再燃しておりますが、上田昭夫氏は慶応大学のラグビー部員で、全日本でも活躍したラガーマンです。後に低迷していた母校の監督となり、創部100周年となる1999年に監督として2度目、大学として3度目の日本一を果たします。
僕がラグビーを秩父宮ラグビー場で見たのは、中学3年生の(1972年)10月29日の早稲田対日体大戦でした。
早稲田の主将は故宿沢広朗さん。71、72年の日本選手権で社会人を破り連覇を果たした早稲田でしたが、72年のシーズンは北島忠治監督率いる明治に敗れ、日体大(綿井永寿監督)に引き分けながらも対抗戦では優勝。大学選手権では明治が1点差で初優勝します。この時の明治のスタンドオフが、後に新日鉄釜石で活躍する松尾雄治さんです。
70年代から80年代前半にかけ、秩父宮にはよく通いました。

故人を偲びながら、往時の様々なことを思い出しました。

さて、「今年の漢字」は例年12日に発表されていたのですが、今年は本日、清水寺貫首森清範氏により揮毫(きごう)されます。どんな世相を表す漢字が登場するやら・・・




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